営業と契約とエントロピー
- 2015/03/10
- 03:52
某日
営業を始めて数日がたつ。
20年にわたる私の様々な出来事がこの営業という行為に駆り立てた。目的はただひとつ。世の中の最上級と言われる女性を可能な限り沢山契約し、私の持つエロトロピーの問題の解消につとめるためである。
契約についてまず説明しよう。
契約、即ち性行為のこと。
この国で契約をするには、まず1人の女性と友達になる必要がある。二回、三回と面会をしその女性自身の仮契約をしたいという気持ちを徐々に昂らせる。因みに仮契約とは契約ではない。一説には、いつでも契約を破棄できる世界で一番脆弱な約束事であるらしい。この国ではこの仮契約を「付き合う」と呼ぶ。突き合う、ではない。契約ではないから。
仮契約後、女性はようやっと契約をしたいという気持ちを昂らせる段階に入る。そして時期が満ちた頃に初めて契約を交わす。オスによっては早くて出会ってから数週間、場合によっては何年にもわたり契約にこぎ着く者もいる。
必死の思いで契約を交わしたオスは必ずしなければならないことがある。己が死ぬまでその女性に添い続けなければならないというアフターサービスだ。サービスと言うがこれは社会の暗黙のルールとなっているためほぼすべてのオスがこのサービスを行う。
しかしオスにはみな本能、我々の言うところのエロトロピー、「性欲」というものがある。なんとこれは、より多くの女性を契約したい、より上物な女性を契約したいという社会のルールと真逆のことを求めてしまう性質だ。サービスなんてほんとはしたいとは思っちゃいない。
さらに厄介なのが、エントロピーは意識をして押さえ込んでいないとついつい体から漏れだして女性に伝わってしまうのである。女性が契約をしたいという気持ちが充分に満ちていない状態でその片鱗に触れさせてしまうと即刻契約破棄、最悪の場合今後その女性と面会することすら出来なくなりうる。
故にこの社会のオスたちはこの社会に存在しうる限りこのルールに則って、溢れ行くエントロピーを強引に押さえつけながら生きていかなければならない。
営業とはこの社会のルールを破る外道の存在、云わば社会のゴミと呼ばれる行為、と言われている。
道端を歩くあらゆる女性に声を掛け、あれよあれよという間に契約をする。契約後、生涯その女性に添い続けるなんてことはしない。必要あらばその女性に嘘をついたり突き放したりしながら、営業師は自己のエントロピーに只ひたすらに忠実に、新しい契約を求め何度も何度も女性に声を掛け続ける。営業とはエントロピーの増大問題を解決するための方法の中でも最もシンプルでかつ、原点的な方法なのだ。
原点ゆえに営業は社会的ではない。世間一般的に言えば無理矢理契約を結ぶ脅迫犯罪じゃないかとか、社会から抹殺されるべきだとか言われ続けたりする。それがこの営業という行為なのである。
エロトロピー増大問題を解決するための原点的な方法であるのにも関わらずここまでな扱い。社会というものは残酷であろう。
だが不思議なことに営業とは社会から抹殺されることはない。この社会がはじまってからずっと社会の外道の存在としてあり続けてきたものでもあるのだ。営業とは外道でありながら反社会的ではない。何故だろう?
答えは実際に営業を持ちかける存在である彼等、営業師が女性との契約を結ぶためのプロセスを知りに知り尽くしたプロだからである。答えになっていない?いや、本当にこれが答えだと私は思っている。
上級営業師は見知らぬ女性と出会って1時間もせずに契約を結ぶ。一見無理矢理じゃないか、脅迫じゃないかと思うかもしれない。だが彼等は脅迫などしていない。彼ら営業師たちは社会のルールとして定められている女性との契約までの手順を超効率的に超高速でおこなっているだけだったのだ。社会からは外道と言われ続けているが、営業とはむしろ硬派な行為であり、ある意味で天道とも捉えられる清らかな行いであるとの主張もある。
故に営業とはいつまでも消えることなく社会の外道(天道、と思っているのは営業師達だけだが)の存在としてあり続けている。
地球に存在しはじめて約20年。ふと、私は営業師を目指すことになった。社会から外道であるからやってはいけないと教え込まれたその営業を、行うことに決めた。何故そんなことをするのだろう。ただエントロピー問題の解決するためだけに何故外道になろうとするのだろう。それにはっきりと答えるのは難しい。営業に駆り立てる原動力となっているものの中に、実は過去に私が経験した出来事によるものがあったりもするのだが今は昔を懐かしむ余裕はない。営業をやっていくうちに追々思い出していくことにしよう。
知ったような口で営業についてベラベラと話している私だが、実は私の存在というのは営業師界隈からみたらまだ初歩の初歩なのだ。専門用語を使うなら地蔵と呼ばれる存在だ。社会のルールを教え込まれ価値観や感情を作り上げた私は、完全な外道になるのに未だに躊躇いがあったりする。惨めで哀れなものだ。
また、外道になれたところで沢山の学ぶべきこともある。私は特別賢くはないし、忘れっぽく応用力も表現力も拙い故に、営業師になるために持ち合わせなければならないスキルの習得も苦労することであろう。
私にとって一流の営業師になる道程は険しい。それでも私は営業を行う。営業をして沢山の女性と契約をする。そしていつかこの記事が恥ずかしいとか、黒歴史だって思えるくらいの営業師になることを夢見ている。
QB
ps
弱いものほどよく吠える。少しの事柄でより鮮明により大層に物事を語ろうとする。実際は実体験すらしていないから語れてすらいない。これが私の今の自己紹介だ。強者になる日は来るのだろうか?いや、来させてみせよう。
営業を始めて数日がたつ。
20年にわたる私の様々な出来事がこの営業という行為に駆り立てた。目的はただひとつ。世の中の最上級と言われる女性を可能な限り沢山契約し、私の持つエロトロピーの問題の解消につとめるためである。
契約についてまず説明しよう。
契約、即ち性行為のこと。
この国で契約をするには、まず1人の女性と友達になる必要がある。二回、三回と面会をしその女性自身の仮契約をしたいという気持ちを徐々に昂らせる。因みに仮契約とは契約ではない。一説には、いつでも契約を破棄できる世界で一番脆弱な約束事であるらしい。この国ではこの仮契約を「付き合う」と呼ぶ。突き合う、ではない。契約ではないから。
仮契約後、女性はようやっと契約をしたいという気持ちを昂らせる段階に入る。そして時期が満ちた頃に初めて契約を交わす。オスによっては早くて出会ってから数週間、場合によっては何年にもわたり契約にこぎ着く者もいる。
必死の思いで契約を交わしたオスは必ずしなければならないことがある。己が死ぬまでその女性に添い続けなければならないというアフターサービスだ。サービスと言うがこれは社会の暗黙のルールとなっているためほぼすべてのオスがこのサービスを行う。
しかしオスにはみな本能、我々の言うところのエロトロピー、「性欲」というものがある。なんとこれは、より多くの女性を契約したい、より上物な女性を契約したいという社会のルールと真逆のことを求めてしまう性質だ。サービスなんてほんとはしたいとは思っちゃいない。
さらに厄介なのが、エントロピーは意識をして押さえ込んでいないとついつい体から漏れだして女性に伝わってしまうのである。女性が契約をしたいという気持ちが充分に満ちていない状態でその片鱗に触れさせてしまうと即刻契約破棄、最悪の場合今後その女性と面会することすら出来なくなりうる。
故にこの社会のオスたちはこの社会に存在しうる限りこのルールに則って、溢れ行くエントロピーを強引に押さえつけながら生きていかなければならない。
営業とはこの社会のルールを破る外道の存在、云わば社会のゴミと呼ばれる行為、と言われている。
道端を歩くあらゆる女性に声を掛け、あれよあれよという間に契約をする。契約後、生涯その女性に添い続けるなんてことはしない。必要あらばその女性に嘘をついたり突き放したりしながら、営業師は自己のエントロピーに只ひたすらに忠実に、新しい契約を求め何度も何度も女性に声を掛け続ける。営業とはエントロピーの増大問題を解決するための方法の中でも最もシンプルでかつ、原点的な方法なのだ。
原点ゆえに営業は社会的ではない。世間一般的に言えば無理矢理契約を結ぶ脅迫犯罪じゃないかとか、社会から抹殺されるべきだとか言われ続けたりする。それがこの営業という行為なのである。
エロトロピー増大問題を解決するための原点的な方法であるのにも関わらずここまでな扱い。社会というものは残酷であろう。
だが不思議なことに営業とは社会から抹殺されることはない。この社会がはじまってからずっと社会の外道の存在としてあり続けてきたものでもあるのだ。営業とは外道でありながら反社会的ではない。何故だろう?
答えは実際に営業を持ちかける存在である彼等、営業師が女性との契約を結ぶためのプロセスを知りに知り尽くしたプロだからである。答えになっていない?いや、本当にこれが答えだと私は思っている。
上級営業師は見知らぬ女性と出会って1時間もせずに契約を結ぶ。一見無理矢理じゃないか、脅迫じゃないかと思うかもしれない。だが彼等は脅迫などしていない。彼ら営業師たちは社会のルールとして定められている女性との契約までの手順を超効率的に超高速でおこなっているだけだったのだ。社会からは外道と言われ続けているが、営業とはむしろ硬派な行為であり、ある意味で天道とも捉えられる清らかな行いであるとの主張もある。
故に営業とはいつまでも消えることなく社会の外道(天道、と思っているのは営業師達だけだが)の存在としてあり続けている。
地球に存在しはじめて約20年。ふと、私は営業師を目指すことになった。社会から外道であるからやってはいけないと教え込まれたその営業を、行うことに決めた。何故そんなことをするのだろう。ただエントロピー問題の解決するためだけに何故外道になろうとするのだろう。それにはっきりと答えるのは難しい。営業に駆り立てる原動力となっているものの中に、実は過去に私が経験した出来事によるものがあったりもするのだが今は昔を懐かしむ余裕はない。営業をやっていくうちに追々思い出していくことにしよう。
知ったような口で営業についてベラベラと話している私だが、実は私の存在というのは営業師界隈からみたらまだ初歩の初歩なのだ。専門用語を使うなら地蔵と呼ばれる存在だ。社会のルールを教え込まれ価値観や感情を作り上げた私は、完全な外道になるのに未だに躊躇いがあったりする。惨めで哀れなものだ。
また、外道になれたところで沢山の学ぶべきこともある。私は特別賢くはないし、忘れっぽく応用力も表現力も拙い故に、営業師になるために持ち合わせなければならないスキルの習得も苦労することであろう。
私にとって一流の営業師になる道程は険しい。それでも私は営業を行う。営業をして沢山の女性と契約をする。そしていつかこの記事が恥ずかしいとか、黒歴史だって思えるくらいの営業師になることを夢見ている。
QB
ps
弱いものほどよく吠える。少しの事柄でより鮮明により大層に物事を語ろうとする。実際は実体験すらしていないから語れてすらいない。これが私の今の自己紹介だ。強者になる日は来るのだろうか?いや、来させてみせよう。