演技
- 2016/06/26
- 02:16
ながえスタイル 代理セ〇クス
撮影を終えた。
僕のナレーションが本来入るはずだったがそこでもどうやら監督が求めている僕になることができず、「他の人材で充てる」とのことでこの演技はまるまるカットされた。悔しかった。申し訳なかった。ギャラを返上したくなった。慌ただしい現場でそれすらも申し訳なくなった。予定よりも随分早い終了となった。まだ終電にゆうに間に合ってしまう程の時間だった。
領収書を切りおえ、帰りの支度をしていると、毛布に包まったトトトと小走りする物体、恐らく下は裸であろう女優さんが僕の近くのソファーに座った。
「ここでねーよおっと!」
凹ますくらいの勢いでソファーにダイブしたのが背中越しにでもわかった。ただただいたたまれない気持ちの僕は、そんな彼女の振りまく明るい笑顔やお茶目な行動に微笑むことも出来なくなっていた。
「…」
僕は尻目に片付けを続けた。
左薬指にはめていた指輪を捻るようにようやっとの思いで外し、右中指に、ハメ初めて日が浅いにもかかわらず、もう随分と色が霞んでしまった銀の指輪を嵌めた。
「今日はありがとうござい
ある音が、僕の肩を乗り超えて耳に届いた。最初何の音だかわからなかった。あまりにも小さくて掠れたような音。間違いない、ただの「人の声」なのだが、この時の僕はその事もわからなくて、それに吸い寄せられるように後ろ向こう側へと意識を移していった。
「ました。」
僕はとても驚いていた。毛布に包まった何かが頭と目玉二つだけを出してこっちを見ていたのだから。態とっぽくて大変馬鹿げているのだが、その音が今日この撮影、否この業界の仕事全般おいての主役である、AV女優から発せられた言葉なんだと認識するとまた、僕は驚いていた。絡み男優ではない僕のような人達にも、仕事始め仕事終わりに女優さんから声をかけてもらうこと、挨拶されることは特別珍しいことではない。この業界は世間一般が思い抱くよりも随分と「いい」人達に溢れている。しかし何か今までのそれらの挨拶とは違う、しかもそれは決して「いい」ものではないようなそんな気がした。
呆気にとられてた僕は思い出したかの様に笑顔を彼女に向けた。
「こちらこそ、今日はありがとうございました。」
今日何回も繰り返し彼女に向けた笑顔。
彼女は今日、撮影環境に馴染めずシーンで上手くいかず孤立していた僕に何度もおかしな事を仕掛けてきた。僕が彼女を見て泣きそうな顔をするシーンを撮っている時はカメラ向こうでトンデモナイ変顔をしてくるし、ベッドシーンでは別にこれから絡むわけでもないのに急にマタを弄って「勃起不全の夫なのに!」と言ってきたり、抱き合っているシーンを撮っている時は脇腹をくすぐって来たり、台本に入ってないが明らかに状況としては噛み合っていないボディランゲージをカメラが回ってる時にしてきたりする様な、そんなおかしな、でも可愛げのある女優さんだった。僕だけじゃない、色々な人にそんな事をしていた。常時楽しそうにしていた。ハイテンションだった。
僕はそんな彼女を凄くいい人なんだけれども、寂しがりやな人なんだなと思いながら彼女がこのおかしな事をする度に、何もせず何も言わずこの「笑顔」を向けていた。時たま「笑顔」ではない別の「彼女のような女の子には適していない」行動、言動を取りそうになりそうだったが、直様それに気がつき、彼女に察せられないうちにそれを辞めて、「笑顔」に変える様にしていた。
毛布から目だけ出してた彼女は毛布から口までを出して笑顔を見せていた。笑顔なんだが口が尖っていた。
「ソレ、私服?」
彼女はそう質問してきた。
「そうですよ」
「ふーん」
彼女は口を尖らせたまま今度は目をそらせた。僕は今日の撮影スタッフの大半の人に個別でこっそりと言ってた事を口にした。
「今日はあの、ごめんなさい。カットばかりさせてしまって…」
目線を僕に移し尖らせた口を解いて彼女は答えた。
「しょうがないよ。だって、難しい役だったもの」
「うーん…でもね。俺もまだまだだなぁって」
僕は目を伏せていた。
僕は勝手に随分と深く内省し、辞めていた片付けを再開しようとした。
「そんなことないよ」
それを聞くと急に眼球に息を吹きかけられたかの様に瞬間僕の視界が揺らめいていた。目は伏せられたままで僕は彼女の方を見れなくなっていた。苦し紛れにやっと思いで彼女を見る。毛布が裸れて身をこちらへ乗り出している女優が僕の視界に映った。対するその視線はまるで随分と鍛え磨き続けられた真剣のように月光に光っていた。僕の目はその真っ直ぐな真剣に突き刺されてしまったようで動かせなくなった。
「ありがと」
かろうじて口だけは動かせた。片付けをする事を一度やめることにした。
彼女と5分くらい話した。盛り上がった話をした訳ではない。今日は何で帰ろうかとか、この業界での生き方とか、そんなような深いようで浅い話を、お互い早朝からの疲れもあるから落ち着いてゆっくりと話をしていたと思う。というか、彼女の基本的な対人技術である「ハイテンション」に僕は合わせたくなかった。そんな彼女は僕のローペースに合わせてくれた。お互いに「笑顔」はなく、目線を左斜め上にむけたり下げたりしながら会話をした。段々と眠くなっていくような感じがした。
話している時、今日の現場では一度も聞かなかった語尾が出ているのに気がついた。
「九州の人?〇〇県かな?」
「え?うん、〇〇。なんで?」
「方言出てたから。こっちでは一人暮らし?」
「うん」
「そっか。遠いね」
「うん、とおい」
「なんか、寂しい時も、あるよね」
「うん」
「あんまり、無理は、しないでな」
「大丈夫」
「そうなの?」
「うん。だって、仕事は、楽しいから」
「強いんだね」
「…どうなんだろ」
「…頑張ってるんだね」
「…うん」
横たわりながら俯いた顔で相槌を打つ彼女を、僕は美しいと思った。
「また、会えたらいいな」
そんな彼女を見て僕はそんな言葉を掛けていた。
「そうだね!また会いたい」
彼女は急に笑顔を取り戻す。まるで1000倍速で蕾から花への開花シーンを見ているかのようだ。
「多分またいつか会えるんだろうね。」
「そうだね。一緒にがんばろ!」
「だね」
その後も少し話したが、いつの間にか彼女は眠っていた。僕は片付けを済ませてトイレに行った。いつの間にか撮影が始まっていた。この作品の最後の見せ場である絡みをする彼女の喘ぎ声を聞きながら僕はウンコから出れなくなった。トイレと撮影の場が近い。何枚かの壁越しに聞こえるその、寝取られ堕ちた妻の喘ぎ声を半自動的に耳にしながら、音を殺していた。
カットが入り、僕はトイレを飛び出る。
「今日はありがとうございました」
撮影には迷惑のかからぬよう、控えめだがみんなには確実に聞こえるであろう声を放った。
「あざっした!」
スタッフ皆が一同に声を揃えて僕に挨拶を送ってくれた。まるで体育会系の挨拶で、予想外の大きさに少しびっくりした。そさくさと外へ出る。後ろから体育会の「アザッした!」の声の後から別の声が聞こえる。
「ありがとうございました」
女優の声だった。
ベッドが軋み、またもトトトっと足音が聞こえてくる。靴を履き終え、目線だけで振り向くと、裸の彼女が手を振って立っているのがみえた。その手の薬指には僕が今日の撮影の最中ずっと嵌めていたものと同じ形状の細い銀の指輪が、玄関先天井に取り付けられた豆電球の橙の光を反射し、か弱く煌めいていた。同時に彼女は、彼女には妙に不釣り合いな「笑顔」を作っていた様に僕は見えた。
「ありがとうございました」
僕は横目のまま「笑顔」を作り、彼女のそれとはもう形状の異なる銀の指輪を中指に嵌めた右手の甲を振り、ドアを開けた。彼女は僕がドアを閉め終わる前にすぐに寝室へ戻っていった。
今日僕は絡みなし現場での毎回の恒例「現場トイレでこっそり辞意」をしていなかった事に気がついた。出来なかったのだ。その理由は、僕がここ3日間エキストラ男優や汁男優の仕事の連続で一睡もしていなかった事だけが原因ではなさそうだった。
h29/2/15 誤字修正