聖夜
- 2016/12/26
- 09:53
世間はみんなセックスからデートからプロポーズやら忙しい。まるで自分の誕生日が二つでもあるかのような騒ぎようだ。故にか、僕の誕生日は人からは忘れ去られ、大抵祝われない。まったくもって不幸な男だ。僕自身、イベントごとに執着はあまりない。元旦やチョコレートの日、仮装する日など、イベントに参加自体はするのだが、参加しないと死んでしまうというほどではない。ただクリスマスを除いて。
12/25に誕生日おめでとうのラインの通知が0件となったのはいつからだったかもう覚えてはいない。祝いをしてくれるのはその時ベッドを共にしている魔法少女だけだった。僕は毎年違う女に誕生日を祝われていた。僕は友達が少ないから毎年年末にそうやって女を調達してくるようなのである。誕生日にデートしてクリスマスにセックス出来て寂しくないじゃんなんでそんなに寂しい孤独アピールをするんですか?客観的に見ればそう思われるし、そう思うのは当然のことだと思ってはいるのだが、僕からの目線は何故かまったくなのであった。なんたって、彼女たちは来年の僕の誕生日をも祝ってくれる関係性ではないのだから。
僕は友達が少ないどころか、いないのではないかと実感せざるをえなかった。数年前からその数は減り続け、ふと、ついにいなくなったことを知ってしまったかのような気がする。僕は普段のコミュニケーションでクリスマス生まれアルアルとして、「そういうもんがある」と昔は会話でよくネタにして来ていたが、最近は僕の誕生日を人に教えること自体をしたくないと思うようになってしまっていた。いざ当日になると辛いものがあるからなんだろう。半ば諦めの気持ち、という言葉を使うのにぴったりな状況だ。だって、しょうがないだろう。彼ら彼女らは自分の幸せで一杯な日なのだ。そう言う気持ちでいないと、僕の誕生日に『デートして来た』だとか『プロポーズされた』だとか『彼氏できた』とか『パーティしてきた』とか『プレゼントちょうだい』だとか、誕生日とは無関係のそれらのメッセージの送り主達に殺意を抱かざるおえないし、幸せを噛み締める目の前の女はイエス・キリストに寝取られているのだから。
だからかはわからないが、祝われないが故に祝われるとドキッとするのであった。自分自身も忘れていた人からフェイスブックのメッセージアプリで唐突に来て、僕は驚いた。去年も一昨年もその子からは祝われていなかった気がするからとても驚いた。たまたまフェイスブックを見て、何々さんが誕生日です、と表示されていたから送ったのかもしれないけれど、それでもメッセージを送ろうと思ってくれた事自体に僕は涙をしてしまったのだった。クリスマス生まれの僕の誕生日を祝ってくれるこういう人を大切にしたいなと思った。
あまり触れたくはなかったクリスマスについて、遂に触れてしまった、今この文を書き終え、物事が終わる時に抱く感覚を感じている。そうだ、来年はそんな僕の誕生日をその次の年も祝ってくれるような人を増やす年にしたい。ふとそう思った。
12/25に誕生日おめでとうのラインの通知が0件となったのはいつからだったかもう覚えてはいない。祝いをしてくれるのはその時ベッドを共にしている魔法少女だけだった。僕は毎年違う女に誕生日を祝われていた。僕は友達が少ないから毎年年末にそうやって女を調達してくるようなのである。誕生日にデートしてクリスマスにセックス出来て寂しくないじゃんなんでそんなに寂しい孤独アピールをするんですか?客観的に見ればそう思われるし、そう思うのは当然のことだと思ってはいるのだが、僕からの目線は何故かまったくなのであった。なんたって、彼女たちは来年の僕の誕生日をも祝ってくれる関係性ではないのだから。
僕は友達が少ないどころか、いないのではないかと実感せざるをえなかった。数年前からその数は減り続け、ふと、ついにいなくなったことを知ってしまったかのような気がする。僕は普段のコミュニケーションでクリスマス生まれアルアルとして、「そういうもんがある」と昔は会話でよくネタにして来ていたが、最近は僕の誕生日を人に教えること自体をしたくないと思うようになってしまっていた。いざ当日になると辛いものがあるからなんだろう。半ば諦めの気持ち、という言葉を使うのにぴったりな状況だ。だって、しょうがないだろう。彼ら彼女らは自分の幸せで一杯な日なのだ。そう言う気持ちでいないと、僕の誕生日に『デートして来た』だとか『プロポーズされた』だとか『彼氏できた』とか『パーティしてきた』とか『プレゼントちょうだい』だとか、誕生日とは無関係のそれらのメッセージの送り主達に殺意を抱かざるおえないし、幸せを噛み締める目の前の女はイエス・キリストに寝取られているのだから。
だからかはわからないが、祝われないが故に祝われるとドキッとするのであった。自分自身も忘れていた人からフェイスブックのメッセージアプリで唐突に来て、僕は驚いた。去年も一昨年もその子からは祝われていなかった気がするからとても驚いた。たまたまフェイスブックを見て、何々さんが誕生日です、と表示されていたから送ったのかもしれないけれど、それでもメッセージを送ろうと思ってくれた事自体に僕は涙をしてしまったのだった。クリスマス生まれの僕の誕生日を祝ってくれるこういう人を大切にしたいなと思った。
あまり触れたくはなかったクリスマスについて、遂に触れてしまった、今この文を書き終え、物事が終わる時に抱く感覚を感じている。そうだ、来年はそんな僕の誕生日をその次の年も祝ってくれるような人を増やす年にしたい。ふとそう思った。