自由の迷宮、俄の礼儀 #フリースタイルダンジョン
- 2017/07/14
- 01:21
最近のヒップホップブームは凄まじい。深夜番組であったフリースタイルダンジョンによって、今やユーチューブやテレビで流れる企業広告までもがラップラップで、今日本は韻を踏む言葉に包み込まれている。元々はアンダーグラウンドの世界であったフリースタイルバトルは今や一種のスポーツとして、日本語という文化を深化させ助長してゆくもののようにも感じる。
僕自身、このここ最近のヒップホップブームに乗って聴き始めた、いわゆるところの「ニワカ」だ。きっかけはまだ深夜番組だったフリースタイルダンジョンの焚巻の試合をみて、そこで圧倒され関心が湧き上がり、そこからハマったのであった。ああ、これおもしレェなと。
はじめ見たときはなんで「いとうせいこう」っていうオッさんが審査員やっているんだよwww天才テレビくんだけにしとけwwwと心の中で草をはやかしていたものだが、ヒップホップというものを聴いたり調べたりしてゆくうちに、彼の方はとても凄い人なんだということがわかって、驚いたりもした。
当番組以外にもフリースタイルバトルの動画を視聴し続けるようになり、そこで耳が段々と慣れてくると、批評気味に「サイプレス上野とかナイカMCは喋ってるだけだし、なんで呂布カルマは異常に崇め奉られてるんだよ」だとか、「Tパブロの咬ませ犬感やべぇな」だとか、「漢はTVでちゃダメな人だろ」とか、「サイモンジャップはプライドだけがやたら高い老害を具現化した存在」だとか、「ヒダディ上手いけど調子乗りすぎじゃね」だとか「ケンザとドタマは見た目的にやってるジャンルが明らかに違くないか」だとか、「チコカリート上手い筈なのになんでよく負けるんだよ」だとか、理由もまともに知りもしないくせに一丁前に思ったりしたもんだが、もうこの時点でずいぶんどハマりしているのがわかったし、そのお陰でフリースタイルバトルの映像をよりさらに沢山みたり、バトルビートの元の音源を聴いたりすることで、凄い世界だなと、事実や音を聞くたびただただ関心せざるおえず、また、「まだまだ知らん事ばかりだな」とニワカをしみじみと噛み締めていた。
ある日弟から
「チコカリート俺と同じ年齢だったわ」
というメッセージにとともに僕の弟がテレビでよく出るその「彼」と楽しそうにツーショットをしている画像が送られてきていた。
「凄いとこまでいったなお前」
僕はそう返信を送った。
弟は僕とは違い「ガチのB-BOY」であった。キックザカントゥルーに影響を受けた弟は中学の頃人が変わったかのようにどハマりしていたのをよく覚えている。その頃僕は邦ロックにハマっていて、
「なーにが日本語ラップだ、ダサいわ、日本語はラップに向かない言語なんだっての…」
と、ラップだけには嫌悪を示し、堂々と弟を貶していたりする意地っ張りであった。そんな兄を見もせずに弟は中、高、大とB-BOYがするであろうことは粗方やり、芸術系の大学を卒業した後、今はクラブでライブを聴きながら壁紙に絵を描く「ライブペインター」として活動の熱を燃やしている。
「まさかお前があの頃俺が聴いてた曲を今になって聴きだすとは…思ってもなかったわw」
Bを極め、この道の「有名どころ」にたどり着いた弟はよくそう口にする。僕より若いのにまるで昔を懐かしむ懐古厨をしているジジイのようだ。僕の熱い掌返しである。
「お前がR指定とタメとか考えられん」
とも言われ、バカにされてるのか、よくわからないのだが、僕と同じ年齢の彼が今や日本一のラッパーとして崇められているのを見て、僕と同じ時を生きる中、青春時代をラップに費やした泥塗れだった種が今開花しているのだ思うとラップというジャンル関係なしに、何か人としての感慨深いものを感じる。
YouTubeの、例えば呂布カルマやR指定、DOTAMAあたりの有名どころの試合の動画のコメント欄を見ていると上級者だとか前々から聞いていた古参勢だとかいう方々が批評家としてコメント合戦をしあい繰り広げているのがよく見受けられる。今までそんなことはしてこなかったのに、なんで今になって饒舌を持って出てきたのかはよくわからないが、彼らは僕らのようなニワカを批判する。「これはそういうことではない」とか「あれは○○が勝ってた」だとか。僕らはてんで分からない。そんなニワカも思ったことをいっただけでそこまで批判され続けるのも嫌な気になるからなのか、「楽しく聞ければいいじゃん」とか「嫌なら見るな」とか、なんとも温臭い言葉を上級や古参達に向けて吐き散らしてゆく。
超古参BBOYとなった弟はそんなコメント欄に参加しないどころか
「最近フリースタイルダンジョンみてねーわ…」
話題に乗ることすらもしておらず、ただ淡々と自分のジャンルを確立させるために仕事の合間合間をぬってクラブやイベントに足を運びまくっているようであった。僕らはステージが違う。観客席と現場というのは近いようで全く異なる世界なのかもしれない。
コアなオタク趣味が世間的に流行るとにわかが湧く。にわかは「詳しくないとそれを好きでいちゃいけないみたいな風潮がイヤ」だとか言い出す。
別に詳しくなくても構わないと僕は思う。しかし少なくとも同じ土俵ではない。これは知ってなくてはならない事実だとも思う。にわかも(自称)ガチもどちらも何かを履き違えているように思えてならない。
その履き違えは、論点が大きくずれているもののようにも思う。ラップのバトルなのに、客同士の別のバトルが始まっているのは滑稽で面白い話である。(そのバトルがラップならば良いのだが、残念ながらそういうところまで気をきかせることは批判好きの彼らはしないのが残念なところではあるが。)
これはラップに限った話ではなくて、音楽ならばメジャー入りしたバンドでも、地下出身のアイドルでも、まるで音の関係ないスポーツ、野球やサッカー、ボクシングや相撲、学問、僕がはまっていたゲームなんかにも適応された不思議な事象だ。ナンパ師界隈もそうかもしれない。
ただ、間違いのないことは人が集まるジャンルにはそれだけたくさんの人がいて、威張り散らす人やそれにいちいちカッカ怒っている人達が絶対に存在するのだということだ。ジャンルをただ遂行して行く上では彼らの存在は何の意味もない。彼らがいなくても彼らを無視してもラップはできるしゲームはなくならない。けれど彼らを無視すると「しづらく」「やりづらくなる」のは間違いのない事実だ。メジャーというものとなってしまった、また、なることができたそのジャンルで生きて行く、また、楽しんで行くにはそれ独自のルールみたいなものを心得ておく必要があるように思う。共通のルールではない。人それぞれ守らねばならないルールが異なる。
例えば僕のようなミーハーでにわかなファンは、「にわかでもいいじゃん」だとか、「嫌なら見るな」だとか、知ったかぶったコメントだとかそういうことを例えばグループの中で、例えばユーチューブのコメント欄で言ってはいけない。いう事で楽しめなくなるし、そのジャンル自体が錆びて行くように思う。にわかよりも古くから嗜んで来た古参の人達は「にわかが調子に乗っている」として、にわかを批判する。だが、「にわかが見ている」ことも「にわかがラップを聞いている」ことにも「にわかがラップを見て聞いて楽しくしている」こと対して、叩くことはしないのである。彼らとしては「今までdisってきた奴もいれば、見向きもしてこなかった癖に今になって手のひら返してきやがった」と何かいい気はしないのは違いないと思うのだがその点については直接批判や貶したりはしないであろう。
今までそこで生きて来たルールに対して批判したり、意見の食い違いが生まれた時に初めて叩くのである。にわかは「聞きたいから聞いている」「俺は楽しんでいる」ということをあえて彼らに言葉に出して伝える必要がない。一人で噛み締めていれば良い。伝える必要がないことを口走るから不毛で無意味な争いが起こるのだと僕は思う。
意識すべきことは「僕は何も知らない」ということを常に念頭に置いておくということだ。知ったかぶってはならない。無知であることを自覚して、知らなかったことを知れる喜びを感じることでメジャーとなっているこのジャンルを楽しみ続けられるように思う。なんたって、いばりちらしている人がいる程なのだ。話を見たり聞いたりしていれば沢山のことを割と簡単に知ることができる。知るたびに考え方は変わるし、見方も変わる。変わった目線でバトルを見ることで同じバトルでもまた違った楽しみを感じ取ることができるので中々に飽きが来ることはそうそうにない。そのジャンルを古くから嗜んで来た重鎮や、古参たちにこのジャンルを探求すべく為食らいついて行く姿勢がにわかであることの「礼儀」なのではないか、と僕は思う。
にわかであることを恥じることも後悔する必要もない。にわかな僕らは一定数の古参から煙たがられるのは間違いのない事実なので口走ることのないように細心を払う必要が間違いなくあるのだが、一方で古参な彼らにはもう味わうことのできない初めてみて触れることのできる驚きや感動を得ることができるのである。コメントで批判なんかしている暇なんぞ、ないのである。探求を進めて行けば、晋平太のように、ジャンルを支え続けて来た古参や自身が憧れ続けて来た超えられない壁のような存在に打ち勝ってしまうこともあるかもしれない。それはそれで、ジャンルとしてはありなのかもしれない。あの頃は良かったと懐古する者も生まれればまた新たなにわかが生み出されることにもなるのも結局必然であろう。
ある日また弟からメールが来た。
「たくまきとのんでるなう笑」
(裏山氏ね)
と、心の中で思いつつ、
(サインもらって来て)
という言葉を飲み込み
「人付き合い、そういう繋がりはマジで大事にしとけよ?後悔のないようにな」
と別の視点で先輩、老害ツラをしてみせた。