二次元と結果を求めた曖昧な死
- 2015/04/27
- 04:50
元々私はアニオタでありゲーオタであり、毎年二回東京ビックサイトの汗ばむ臭いイベントに徹夜して並ぶ1人の汚い男であった。本気で画面向こうに行きたいと空想妄想の世界に色を馳せていた男であった。
それが今やPUM。
絵描きのレッスンはするけれども趣味として二次元活動はまるっきりしなくなってしまった。このディープな趣味が私のAFC精神の一端を担っているからだと思う。因みに私の最後の嫁はシュタインズゲートの牧瀬紅莉栖である。
それの名残でか、実は名残惜しい気持ちがあったのか。厨二病キャラクターとして、ネットでブログを始めるようになった。私という奴は全くもってよく分からん地球外生命体である。ナンパを「営業」、生殖棒の抜き差し行為を「契約」、セフレキープを「魔法少女」呼ばわりなんぞ、ブログの読者を増やしたくはないのだなお前は!とか自分で突っ込んでしまいたくなる。
何故元エリートキモオタがこんな社会の外道となる道を選ぶのか。ぶっちゃけ性さえ解消できればいいのである。ただでさえ表に出たら害悪なのに何故人様に迷惑なことをかけて自分の自尊心を自ら削ろうとするのか。自分の性は右手と3分間のmp4があれば事足りるのに…
最近の男は草食系が多いらしい。
だったら私も草食系でいればいいのに。
何故もこんなに世界は草食で溢れているのか。原因ははっきりしている。二次元の女の子がすごく可愛いからだ。
二次元の女の子は可愛い。
二次元の女の子は自分だけを愛してくれる。
二次元の女の子はエロい。
二次元の女の子は自分が求めることを何でもしてくれる。
二次元の女の子は自分が浮気しても何も言ってこない。
二次元の女の子は何処でも一緒。
二次元の女の子はお金がかからない(場合によっちゃリアルよりかかる)
二次元の女の子は何の苦労もしないで自分の性の対象にすることができる。
三次元よりも優れ過ぎているのだ。
特別ロジックせずとも男の性は二次元の女の子へ向かっていくのは当たり前だ。
楽な方へ楽な方へ
楽しい方へ愛してくれる方へ
気持ちいい方へ気持ちいい方へ
向かっていく。
流されていく。
いずれ自ら歩を進めていく。
当たり前だ。
それが人間のサガなのだから。
今の人間は結果を求める傾向の世論にある。例えば努力というテーマでディベートするならば結論は「結果の出ない努力は無意味」「夢ばかり追うのは無謀」「自分に適する努力でない限り無効」この3つになるであろう。
何故ならば二次元が三次元に浸透しているから。努力しないでも自分の欲しいものが手に入れられる環境だから。質問したら誰かが答えを言ってくれるから。将来の夢はアンパンマンになること!って言ったらそれは無理だよと優しく現実を教えてくれるから。
二次元に男たちが進んでいくのは結果だけを求めた人間の形なのだ。女を手に入れるには苦痛苦渋の過程を経ていかねばならない。それを受けずに「最高の結果」だけを見た人間の末路なのだ。
良いか悪いかはわからない。だが今のご時世は少なくとも「結果だけ」求める傾向にある。私の知る限りでは林◯講師も、アイドルの篠◯麻◯子も、芸人のア◯ガー◯ズ田◯も…色々なジャンルでメディアに露出している人物がそのように語っている。
だからこのご時世、リスクをおかしてまで「努力をする意味は皆無」なんだ。
「結果重視の世界」は
「結果しか見えない世界」へ移行後
「二次元の世界」への扉を開かせる。
二次元の世界の神は我々三次元である人間である。その神々である人間が全て、二次元へと移住してしまうと…?
二次元を創造、維持していく管理者、所謂神、つまるところの人間がいなくなるわけだから思考や存在が徐々に徐々に簡素化してゆきやがて世界は限りなく無に近い存在となる。
無とは死だ。
生とは有だ。
結果は死だ。
途中は生だ。
そんなの私は嫌だ。
私は死ぬまで生き続ける。
いや、生き続けていきたいと人生の途中で気がついたのだ。だから苦痛苦渋の社会の外道へと歩を進めるのだ。
そのためにここでは「営業師」として生き続けたい。「営業」して「契約」をし続け、世界に私という存在を配信し続けていこう。万人に見られなくてもいい。ただここに、私が営業師として生きた証を書き記していこう。
二次元と結果を求め、曖昧な存在として生きている人がもし、このブログを見つけたのならば、生を実感し直すキッカケとなれるよう継続していこう。
脱!二次元!
脱!結果論!
生きる過程にこそ価値あり!
私についてでした。
私は俗に言うメンヘラ系の営業師だな。
最近、二次元のおっぱい見ると最近凄く恥ずかしい気持ちになる。ニーオナ覚えたてで性に多大な罪悪感を持っている時期の中学生みたいな気分。
それが今やPUM。
絵描きのレッスンはするけれども趣味として二次元活動はまるっきりしなくなってしまった。このディープな趣味が私のAFC精神の一端を担っているからだと思う。因みに私の最後の嫁はシュタインズゲートの牧瀬紅莉栖である。
それの名残でか、実は名残惜しい気持ちがあったのか。厨二病キャラクターとして、ネットでブログを始めるようになった。私という奴は全くもってよく分からん地球外生命体である。ナンパを「営業」、生殖棒の抜き差し行為を「契約」、セフレキープを「魔法少女」呼ばわりなんぞ、ブログの読者を増やしたくはないのだなお前は!とか自分で突っ込んでしまいたくなる。
何故元エリートキモオタがこんな社会の外道となる道を選ぶのか。ぶっちゃけ性さえ解消できればいいのである。ただでさえ表に出たら害悪なのに何故人様に迷惑なことをかけて自分の自尊心を自ら削ろうとするのか。自分の性は右手と3分間のmp4があれば事足りるのに…
最近の男は草食系が多いらしい。
だったら私も草食系でいればいいのに。
何故もこんなに世界は草食で溢れているのか。原因ははっきりしている。二次元の女の子がすごく可愛いからだ。
二次元の女の子は可愛い。
二次元の女の子は自分だけを愛してくれる。
二次元の女の子はエロい。
二次元の女の子は自分が求めることを何でもしてくれる。
二次元の女の子は自分が浮気しても何も言ってこない。
二次元の女の子は何処でも一緒。
二次元の女の子はお金がかからない(場合によっちゃリアルよりかかる)
二次元の女の子は何の苦労もしないで自分の性の対象にすることができる。
三次元よりも優れ過ぎているのだ。
特別ロジックせずとも男の性は二次元の女の子へ向かっていくのは当たり前だ。
楽な方へ楽な方へ
楽しい方へ愛してくれる方へ
気持ちいい方へ気持ちいい方へ
向かっていく。
流されていく。
いずれ自ら歩を進めていく。
当たり前だ。
それが人間のサガなのだから。
今の人間は結果を求める傾向の世論にある。例えば努力というテーマでディベートするならば結論は「結果の出ない努力は無意味」「夢ばかり追うのは無謀」「自分に適する努力でない限り無効」この3つになるであろう。
何故ならば二次元が三次元に浸透しているから。努力しないでも自分の欲しいものが手に入れられる環境だから。質問したら誰かが答えを言ってくれるから。将来の夢はアンパンマンになること!って言ったらそれは無理だよと優しく現実を教えてくれるから。
二次元に男たちが進んでいくのは結果だけを求めた人間の形なのだ。女を手に入れるには苦痛苦渋の過程を経ていかねばならない。それを受けずに「最高の結果」だけを見た人間の末路なのだ。
良いか悪いかはわからない。だが今のご時世は少なくとも「結果だけ」求める傾向にある。私の知る限りでは林◯講師も、アイドルの篠◯麻◯子も、芸人のア◯ガー◯ズ田◯も…色々なジャンルでメディアに露出している人物がそのように語っている。
だからこのご時世、リスクをおかしてまで「努力をする意味は皆無」なんだ。
「結果重視の世界」は
「結果しか見えない世界」へ移行後
「二次元の世界」への扉を開かせる。
二次元の世界の神は我々三次元である人間である。その神々である人間が全て、二次元へと移住してしまうと…?
二次元を創造、維持していく管理者、所謂神、つまるところの人間がいなくなるわけだから思考や存在が徐々に徐々に簡素化してゆきやがて世界は限りなく無に近い存在となる。
無とは死だ。
生とは有だ。
結果は死だ。
途中は生だ。
そんなの私は嫌だ。
私は死ぬまで生き続ける。
いや、生き続けていきたいと人生の途中で気がついたのだ。だから苦痛苦渋の社会の外道へと歩を進めるのだ。
そのためにここでは「営業師」として生き続けたい。「営業」して「契約」をし続け、世界に私という存在を配信し続けていこう。万人に見られなくてもいい。ただここに、私が営業師として生きた証を書き記していこう。
二次元と結果を求め、曖昧な存在として生きている人がもし、このブログを見つけたのならば、生を実感し直すキッカケとなれるよう継続していこう。
脱!二次元!
脱!結果論!
生きる過程にこそ価値あり!
私についてでした。
私は俗に言うメンヘラ系の営業師だな。
最近、二次元のおっぱい見ると最近凄く恥ずかしい気持ちになる。ニーオナ覚えたてで性に多大な罪悪感を持っている時期の中学生みたいな気分。