群集思考 集団心理
- 2015/04/25
- 01:20
人は群れると思考が統一される。
その思考は群れの上位層のものだ。
これを群集思考と名付けておく。
仮に100人群集があるとするならば
5〜10人程の思考が
残りの90人の思考を決定する。
十人十色という言葉がある通り、100いれば100通りの異なる思考があるはずだ。が、何故だろう。90人もいるのに、その群集にいると皆、群集思考に統一されてしまう。集団心理だ。
心底気持ちが悪い。
まるで個人が存在しないような。
個人の個性が、意思が、感情が群集思考に剥奪されている。統一された思考。まるで工場生まれのクローン生物のような。
人々はこの群集思考の事を社会と呼ぶ。
共通の価値観の仲間がいることに恥や不信感を持った方が良い。
仲間と違うものがあることを誇りに思った方がいい。
意見しろ。
「周りがそう言っているから私も」
自己以外のものは関係ない。
対立を恐れるな
拒絶に怯むな
共感に妥協するな
自己を捻じ曲げるな。
と、言ってもそうは言っても。
そんなこと言ってたら生きていけない。
そう言われるのは知っている。
社会というものは異端な個人を迫害するようなシステムになっているのだから。
ならば私がそれを実行しよう。
自己を社会に示し、自我を社会に埋めない生き方をしてやろう。そうしていくことで社会の何かしらに変革を持たらせよう。
私がしてるナンパ営業ではなく、会社とか社会人サークルとかとか友達ビジネスとかとかとかアフィリエイト営業とかとかとかとか。
そういう類の「営業」
私は大嫌いだ。
大人数でワイワイ連むというのが嫌いなのもあるが、集団でいることで群集思考を間に受けて人生楽しー!人生幸せー!って言っている90人/100人の人が哀れに見えてくるし、嫌悪感しか湧かないのだ。
大人数な嫌いだからといって友達はそれなりに沢山いる。恐らく、私は大人数が嫌いなのではなく、私以外の私が主催をしていないグループそのものが嫌いなのだろう。傲慢で結構。
だからかは意見として苦しいところがあるが、私の勝手なわがままでそれらの横暴する社会を変えていきたい。お節介、余計なお世話、諸々言われるだろうけれどそれでも変えていきたい。
我々の営業は楽しい。
個人と個人のぶつかり合い。
私と女性の意思の投げ合い。
二人だけの世界。
集団では感じられないその人個人の意思や思考を奥の奥まで感じ取れる。そしてそれらに私の意思と思考をぶつけ、衝突、反応、反発、適合、融合、消失、創造…様々な変化を生み出すことができる。
個人の意思思考を直接的に感じ取ることができる。そして何より個人を社会のしがらみから解放する事ができる。既存で虚影の価値観をぶち壊し、新たな価値観を見出させる事ができる。
個人の自我の確立。
私はそれに立ち会うどころか、自我確立の第一人者となる事ができるのだ。
とても素晴らしい。
凄まじい快感を覚える。
私の生の本質がここにあると実感できる。
外道への道標とは言ったけれど、元々私は変態的な意味で外道だったのかもしれんな。今更外道であることに恥と思わない。
風当たりはきついが、負けてはいけない。
戦おう。群集、集団社会と戦おう。
そしてなにより
自分と戦おう。
あ、法律は守ろう。笑
その思考は群れの上位層のものだ。
これを群集思考と名付けておく。
仮に100人群集があるとするならば
5〜10人程の思考が
残りの90人の思考を決定する。
十人十色という言葉がある通り、100いれば100通りの異なる思考があるはずだ。が、何故だろう。90人もいるのに、その群集にいると皆、群集思考に統一されてしまう。集団心理だ。
心底気持ちが悪い。
まるで個人が存在しないような。
個人の個性が、意思が、感情が群集思考に剥奪されている。統一された思考。まるで工場生まれのクローン生物のような。
人々はこの群集思考の事を社会と呼ぶ。
共通の価値観の仲間がいることに恥や不信感を持った方が良い。
仲間と違うものがあることを誇りに思った方がいい。
意見しろ。
「周りがそう言っているから私も」
自己以外のものは関係ない。
対立を恐れるな
拒絶に怯むな
共感に妥協するな
自己を捻じ曲げるな。
と、言ってもそうは言っても。
そんなこと言ってたら生きていけない。
そう言われるのは知っている。
社会というものは異端な個人を迫害するようなシステムになっているのだから。
ならば私がそれを実行しよう。
自己を社会に示し、自我を社会に埋めない生き方をしてやろう。そうしていくことで社会の何かしらに変革を持たらせよう。
私がしてるナンパ営業ではなく、会社とか社会人サークルとかとか友達ビジネスとかとかとかアフィリエイト営業とかとかとかとか。
そういう類の「営業」
私は大嫌いだ。
大人数でワイワイ連むというのが嫌いなのもあるが、集団でいることで群集思考を間に受けて人生楽しー!人生幸せー!って言っている90人/100人の人が哀れに見えてくるし、嫌悪感しか湧かないのだ。
大人数な嫌いだからといって友達はそれなりに沢山いる。恐らく、私は大人数が嫌いなのではなく、私以外の私が主催をしていないグループそのものが嫌いなのだろう。傲慢で結構。
だからかは意見として苦しいところがあるが、私の勝手なわがままでそれらの横暴する社会を変えていきたい。お節介、余計なお世話、諸々言われるだろうけれどそれでも変えていきたい。
我々の営業は楽しい。
個人と個人のぶつかり合い。
私と女性の意思の投げ合い。
二人だけの世界。
集団では感じられないその人個人の意思や思考を奥の奥まで感じ取れる。そしてそれらに私の意思と思考をぶつけ、衝突、反応、反発、適合、融合、消失、創造…様々な変化を生み出すことができる。
個人の意思思考を直接的に感じ取ることができる。そして何より個人を社会のしがらみから解放する事ができる。既存で虚影の価値観をぶち壊し、新たな価値観を見出させる事ができる。
個人の自我の確立。
私はそれに立ち会うどころか、自我確立の第一人者となる事ができるのだ。
とても素晴らしい。
凄まじい快感を覚える。
私の生の本質がここにあると実感できる。
外道への道標とは言ったけれど、元々私は変態的な意味で外道だったのかもしれんな。今更外道であることに恥と思わない。
風当たりはきついが、負けてはいけない。
戦おう。群集、集団社会と戦おう。
そしてなにより
自分と戦おう。
あ、法律は守ろう。笑