教授愚者
- 2015/07/02
- 03:24
*今日は汚いです。お食事中や公の場でのご閲覧はお控えください。万が一ナニがあっても良いように、おトイレでのご閲覧をお勧めしております。
たとえ恋人でも体の交わりが嫌いな女はいるだろう。無理なものは無理。結局はそうなってしまう。
大人の世界は残酷だ。それがダメなのだということを伝えてはくれない。割に合わないからだ。異なる価値観を伝え、更には修整を求むことは衝突することであり、喧嘩や絶交、または金銭がらみの犯罪に発展することもあるだろう。大人の人間に間違っていることを教えるということはそれだけリスクしかない。
だから子供の時代までに教えてもらえないと価値観を正しく持つことができない。
契約を結ぶことが男にとっての愛だということを誰も教えてはくれない。
男にとっての恋愛とは契約をするかしないかだけであることを誰も教えてはくれない。
契約を結んだ後が女にとっての愛だということを誰も教えてはくれない。
女にとっての恋愛とはいかに理想的な男と一緒にいるかだけが愛だたいうことを誰も教えてはくれない。
教えを拒むというのはジコチュウと呼ばれる存在だ。自分の考えを曲げない存在だ。思い込みやトラウマ、閉鎖された環境内で、凝り固まった思考となっている。
社会に属する価値観が異なる人間と関わり、その価値観をどうにかせねばならない場合大抵選ばれる選択は、
その人と関わらない。
と言う選択だ。
一番合理的な選択だ。
時間をかけてゆっくり洗脳。
これも少数ではあろうが社会にはあるだろう。
「正面から価値観の違いをぶつける。」
これは愚か者のやることだ。争いを好んでいるのか?人に嫌われたいのか?きっと血の気の多い、野蛮な人間だろう。
教えを授ける愚か者だ。
私は今、そんな愚直に真っ直ぐな愚か者を目指している。
私は価値観の違いを感じると一方的に今まで突き放してきた。距離を置いていた。そう、ここまでは大人の、社会の対応だ。愚かではなかろう。
ただ、突き放すだけなら良いのだがそれまで我慢してきた言いたかったことを言うだけ言って向こうに嫌われるような方針を取る。それはほんと些細な場面で起こる。例えば清楚感があろう好意を寄せていた相手がふとした所で放屁するのだ。ブリブリィと。え?なに?とされた相手は確認するだろう。確認した先にはもういつもの人はいない。
人格が変わったかのように言いたいことを散々言い放つわけだから私はスッキリする。まるで快便の時のようだ。相手は悪い気分になるだろう。今まで綺麗な仏ツラをしていた人間に、でかい糞を正面からぶつけられたのだから。ひとたまりもなかろう。
その愚かな行為に信念なんてものはない。自分だとか他者だとか、世間体だとか教授だとかなんにもない。ただただ幼稚に、後先のことを考えずに御構い無しに自己満足を放つから、その異なる価値観を持つ者同士の二人の関係は破綻に進んで行く。
それで「私は」綺麗さっぱり別れられるのだ。相手なんて関係ない。不快そのものである私の自己満足を何の脈絡もなく中途半端な場面で相手にぶつけているのだ。汚い糞がついて臭い上、おまけに激昂してる相手のことなんて考えてなんかいられない。
私は愚か者であり、更にはジコチュウな人間であった。だが何れにせよ…なにか中途半端なのだ。
汚いもので例えるならば、そう、スカトロ好きですと言って糞を出していたり尿を放出していたりするのを映像で見るのが好きなだけで触るのは無理と言うような中途半端さだ。スカトロ好きなら糞を二本、尿を500ml食らい飲み干すくらいでなければならない。
私は変わろうと決意した。
人を変えられるくらい大きな存在に。
今の私は確かに愚か者だが、中途半端で幼稚な愚か者だ。中途半端で幼稚な愚か者では何かを変えることなんてできない。
私は今、中途半端ではない、真っ直ぐな愚か者を目指している。大きな人間になるために。
"うん○こは食わないよ!絶対!"