チョコボール向井さんのお店
- 2015/10/20
- 17:21
女の子も何もいなくなった歌舞伎町を後にして私は新宿二丁目のとあるバーに足を運ばせていた。
チョコボールファミリー。
元AV男優のチョコボール向井さん本人が経営されているバーだ。
気持ち半分で応募して抽選を勝ち上がったAV男優オーディションで、まさかのMVPとして選ばれて以来、私はAV男優として生きていくことに決めた。男優さんはネットで調べるほど好きで、中でも一番好きな吉村卓さんに会いに行くためにこのオーディションを受けたほどなのだが、女優さんの名前は今までまるで興味を示していなかった。そんなただの素人モノ好きの意識低い系のこの私が、何とも不思議なことに総合優勝をした「まどわく」くんよりも一早い男優デビューをすることが出来たのであった。
そうして採用された某社の企画物AVに私は初めて出演した。しかし私はその撮影の現場で求められたセックスを上手くやり遂げることができなかった。現場を失望させてしまった。監督は大丈夫大丈夫これはこれで美味しいから!といってはくれたが、その撮影以来、私をオーディション会場で採用してくれた某社のADの方とはもう連絡は取れなくなってしまって、せっかく開けた男優の扉はあっという間に閉ざされてしまったのだった。チャンスを次につなげることのできなかった私は男優としてやっていくために何処かでその道の人達と接触をし、コネクションをとらねばいければならないと常々思っていた。
そう、あれこれネットを駆使して錯誤検索を繰り返している時に見つけたのがこのお店だった。チョコボール向井さんといえば加藤鷹さんに続く誰もが知ってる人気AV男優で、逸物に触れずに写生することが出来るという人体の仕組みを遥かに超越した性を持っているという話は有名だ。そんな凄い人が1人でバーを営んでいるという。
中学生の頃からその名前は知っていた私は本当にびっくりした。しかし都内にはそうしょっちゅう何回も足を運ぶことはないので、新宿にいくことがあったらいつか行かねばと決めていた。ここから男優の仕事が入ってくるかどうかはともかく、とにかくお会いし話てみたくてしょうがなかった。
「いらっしゃいませっ」
扉を開けると、強さと優しさを感じるハキハキとした声が私の方へ向けられた。
お店には3人。黒く照明が反射するバーカウンターを境に、左に2人のお客さん、右に1人のマスター、あのチョコボール向井さんがいた。
(ホンモノだ…)
私はどうも、と軽く会釈をする。びびっていたのか恐れ多いのか権威を感じたのか嬉しさなのか喜びかよくわからなくて、言葉がでなかった。
仲良く話している2人のお客さんは結構なよぼよぼなおじいさんと、どこかのスナックのママさんっぽい感じの人だった。でも2人とも身なりと佇まいがとても良くて、私が思っているものよりもふた回りほど次元というか、住む世界というか価値観というか、色々なものが違うんだろうなというのはわかった。
私はお二人とは少し離れた奥の席に腰をかけた。
「何にします?」
私が座るとチョコボールさんが、どうぞとおしぼりとメニューを出してくれた。新規のお客は安いらしい。(お友達価格を駆使して結構とってくっていうのをしみけんさんが何処かでボヤいていた気がする)
私は少し悩んだ後
「霧島で」
と答えた。
「何軒目ですか?」
と、チョコボールさんは私のドリンクを作りながら黒光りした笑顔を私に向けて声をかけてくれた。体型はやはりガッチリしている。が、現役の頃よりは少し腕が細まっているように感じた。チョコボールさんは男優を引退されて10年経っている。私がAVを同級生の仲間とともにコッソリと手に入れる方法をアレコレ考察をしていた頃にはもう男優さんではなくなっていた。ビデオの向こう側にいた人間。何の因果があったか、私もその向こう側の人間となっていた。
「1軒目です」
色々な思いを馳せながら向こう側の大先輩と会話をする。
「そうなんですね。キャバクラの帰りとか?」
「いえいえ、ただのナンパ帰りです笑」
「ナンパですか笑」
チョコボールさんが意味深にニヤリとした。
「はい、どうぞ」
霧島の水割りが私の左脇に置かれた。お通しのキャベツとキュウリのお吸い物、軽いスナック菓子が続けて置かれていく。
「では二丁目はなにしに?オネーをナンパ?笑」
「ナンパするなら女の子がいいです笑 AV男優のチョコボールさんに会わなくちゃいけないなと思って会いに来たんです笑」
「おお、ありがとうございます!どうもホンモノです笑」
チョコボールさんは常にニコニコしていた。笑顔は伝染する。少し緊張をしていた私も肩の力も抜け口角が少し持ち上がった。男優をしていることはまだ言わなかった。
チョコボールさんは私との挨拶の会話を終え他の二人のお客さんの方へお話をしに行った。このお客さん達は常連さんのようだった。私は店内をゆっくりと眺めながら3人のお話を聞いていた。女性の方は六本木の高級クラブを経営しているママさんで、男性の方はママさんを指定するお客さん?のようだった。ふた回りほど次元が違う世界の住人なのは当たっていた。
チョコボールさんはそのお客さんと話したり、私のところに来て話したり、新しく来たもう一人の常連のお客さん(二丁目のおねぇの方)とお話ししたり常に満遍なく会話をする。バーのマスターとはこういうものだったなと始めて一人でバーに行ったときのことを1人静かに思い出していた。
「しみけんさん、くるんですか?」
折角元トップAV男優の方と会えたのだから、やはり何も話さないのはもったいない。お店に貼られていた小さなポスターにイベントについて書かれていたので、チョコボールさんとの会話の切り出しに尋ねてみることにした。
「来ますよしみけん!ぜひこの日来てみてください」
「はい、伺います。すごく楽しみです」
「来年はね、一徹も呼ぼうかなって考えてます。なかなか忙しいようなんだけれどね」
「おおー!すごい…!」
憧れの男優さんがポンポン出てきて一人でワクワクしていた。(しみけんさんもクソ忙しいと思うけども毎度思うがほんとすごいなしみけんさん…)続けて私はこんな質問をしていた。
「AV男優になるには、どうすればいいんでしょうか?」
チョコボールさんは驚いた顔をしていた。
「おー、男優になるにはですかー」
そして少し考えたのちに私に答えをくれた。
「男優になるにはまず業界内の友達を作ることです、かね。」
友達。私は少し焦った。一人いた。でもコネクションとなる程まだ有名ではない。男優界に入社した日が同じな私と同じ駆け出しの同期の男優だ。
絶対的に大切な制作会社さんへのコネクションが切れてしまった私には絶望的だった。
「友達…か…」
心の底からの漏れだったと思う。つらつらと嘆きの相槌か溢れだした。
「何処かしらのコネクションを作らないと男優にはなれないんですよ。AV男優って会社はない職業ですから」
「そうですよね。」
わかっていたことだった。だが私には結構なコミュ障成分が含まれている。ポンポンとうまくいくようなコミュ力がないし、そのコミュ力がなかったからあの撮影ではうまくいかず切り捨てられてしまったのだった。
「ところで今のご職業は?」
「職業というか何というか、男優です」
そうチョコボールさんに私はいつの間にか告白をしていた。なんでか打ち明けるのを自分の中で渋っていた分、言ってしまってからは私が男優になった経緯、オーディションのこと、初めての撮影、今仕事へのコネクションがなく路頭に迷っていることなどいろんなことをチョコボールさんに打ち明けていた。
チョコボールは私が男優であることを打ち明けたその時はとても驚いていたがその後は真摯に話を聞いてくれた。興味も持ってくれたようで、PUAメゾット的にいうならばチョコボールさんからのIOIが見られるようになったといったところか。
チョコボールさんと私の会話は他のお客さんにも聞かれていて、大変驚かれてていた。男優のお店なのだから男優はよく来るはずなのに男優であることを驚かれたのは、私の雰囲気が『それはないであろう』感があったからかなと思った。
私は普通の人である。外見は本当に普通らしい。普通に何かしら仕事をしている新宿をパッと見まわしてもどこにいるかわからない普通の顔。イケメンでもブサメンでもないらしい。あらゆる人にそう言われている。しみけんさんにもそう言われたのだった。ユーチューブに動画が上がっている。オーディションの選考された理由を「この人普通っぽい」という理由で決定されたからだ。
「だから男優になったはよいが、仕事がなく路頭に迷い込んでいる感じです…」
「仕事かぁー」
チョコボールさんは私に初めての撮影での出来事や女性に対する価値観について聞いてきてくれた。撮影ではたったのかどうか。写生できたのかどうか。ギャラはいくらだったか。女性のタイプはあるか。どこから通っているのか。
私は正直に答えていく。答えながら自己弁解をしたくなったり虚勢を張りたくもなったが、この場でそれらをすることは何の意味もないことなのばすぐにわかった。私の正直さをチョコボールさんはどう受け止めてくれているのか私にはわからないが、弱者の叫びである私の声をしっかりと聞いてくれているのはよくわかった。
唐突にチョコボールさんからこんな質問がかけられた。
「あなたの売りは何ですか?」
私はどきっとした。いつしか1人で行った地元のバーのマスターにも似たような事を言われたからだ。
『あなたの魅力は何ですか?』
あの時、私は答えられなかった。答えられず、マスターの自論、経験談、アドバイスにただ頷き、聞くため話を引き出すためだけの相槌を心を機械にしてひたすらに繰り返すことしかできなくなってしまったのだった。
私はそれを言われるまで、ずっと向井さんの目を見ながら話していた。だがこのことを聞かれた直後、急に向井さんの目を見るのが怖くなってしまっていた。私は向けていた目線を落とし
「そうですね…」
とゆっくり口を動かしていた。意識が向けた目線の先にある、カウンターの淵につけてしまった一滴の雫の中へ落ちていくように吸い込まれていくような感覚に陥る。
あの時マスターに言われてからしばらくの間ずっとその事ばかり考えていた。出た結論は自分の評価は私にはわからない、ということだった。その人の評価はその人でなく、その人以外の人達よって決められることなのだと私は考えたのだった。だからわたしは私の長所をこの場で見つけ出し、目の前の大先輩であるチョコボール向井さんに伝えるということはできないんだろう、ということはもうはっきりとわかりきっていた。
「私は私の売りにできる評価というものがわかりません」
正直にその事を口にした。顔はあげられなかっただが口は動くままに話し続けている。私の意識は目の中に映る雫でもなく何処か違うところへ飛んで行ってしまっていたよう感じていた。
「…しみけんさんが、今年の男優オーディションを吉村タクさんと一緒に決めている時の映像があって、その中に自分が採用された時の映像があったんです。」
雫に落としていた目線はふと上がり、私は向井さんの方へ向き直していた。向井さんは体を斜めにしたまま、今とっていた伝票記入の作業を中断し、顎を引き、口を閉ざし、目を見開いて、頷きつつ、私の方へ耳を傾けていた。他の三人のお客さんも、いつの間にか話を止めていてこちらの話に耳を傾けているように見えた。私の方を私は何に臆することなく、そんな向井さんの耳の方向へ意識が流れていくように言葉を伝えていた。
「しみけんさんは、私のことを『普通だね、この人』とおっしゃっていました。どうやら私は『普通枠』としてあのオーディションに採用されたみたいなんです。」
そう、伝えた。
伝えたというよりは出し切ったというような。それを話し終わった時、私の中では胸の中でつっかえていた碇が外されたかのような感覚があった。だからか、からだの緊張も深く内省へと向けられていた意識もふっと体外に拡散していて、笑顔になれた気がする。
向井さんは私が話し終えると
「なるほどね」
そして私に、いやこの話を聞いていた他の三人のお客さんにも聞こえるように
「『普通の人』、特徴のないと言うのは実に需要があることなんですよ」
笑顔で嬉しそうに話してくれた。
「加藤鷹だとか、チョコボール向井とか。もう今の男優界では売れません。特徴のないのは凄い長所で、そんな男優こそが今どんどん活躍して行っているんです」
そのあと色々なアドバイスをいただけた。主に心構えを。でも結局最後にはこんなことを言われた。
「どこかしらぶっ飛んだものがないとダメですね」
いつの間にか閉店時間になっていた。私は男優についてチョコボールさんから伺ったこと以外特にそこからしゃべるようなことはしなかった。終りまでコミュ障であった。チョコボールさんは相槌と笑顔だけになっている私に少し戸惑っているように思えた。帰ればいいものの、私は1人でに余韻に浸っていたのかもしれない。
男優の友達を増やすこと。
ぶっ飛んだものを作ること。
自分の対人能力と自尊心。これらをどうにかするためにやるべきことを、考えねばならない。
明瞭なアドバイスを頂き、深々とお辞儀をしてくださるチョコボールさんに少し慌てながら私はまだ日が照らぬ早朝の二丁目を後にした。