年末の部屋整理というこでクリスマス終えてからごちゃごちゃしていた。絶望的な汚さは早いうちに手を打っておくにかぎる。
掃除しているとき、高校時代にポケモン以外ではまっていた遊戯王カードがでてきた。懐かしいなぁと40枚のカードの束であるデッキをめくっていたらいつのまにか私はシャッフルをしていた。
シャッフルをして、6枚のカードを手元にとり、手札を見る。そうして対戦相手もいないのに手札のカードを一枚、そしてもう一枚とだしていく。デッキから特定のカードを抜きだしその場にだし、またシャッフル。そしてあるものが揃ったら別にある15枚のデッキから白く輝いたカードを場に出す。ほっこりする。
ほっこりしたら白いカードは15枚のデッキへ、場に出していたカードはまた集めて40枚のデッキを作りシャッフル。そうしてまた6枚のカードを手元に取る。一人でやるこれを、テストプレイという。デッキは完璧なのか否か、ダメだったら何を抜き入れすればいいのか考察。私はこの作業がすきだった。
満足するのが好きなのかも知れない。何か納得行くものを作り上げる。考察を続けていると気がついたら次の日の朝になっている。それを完成させて満足したいのかもしれない。そういうところに私は欲求があったのかも知れない。
勝ち負け優劣がつくのがきっと嫌いなんだろう。だからその分一人でオタクチックに盲目的にやるのが好きなんだろう。自分の世界のなかで戦いつづけていたいのだろう。
最近営業の停滞怠惰がつづき、歎いていた。向いてないし営業である必然性が私にはない、だから営業はむいていないのかとちょっぴりやめたくもなった。だがもしかしたら営業とは私にとって相性のいいものかもしれない。周りの成長、即数が早すぎて多すぎて私は焦っていた。自己嫌悪で卑屈になってしまっていた。だが、争うべくは隣の同業者ではない。 目の前にいる女の子がすべてだ。ならば男同士でデュエルする必要はなかった。目くじらを立て見るべきものは即報溢れるツイッターのタイムラインなのではけしてなく、女の子の目玉の動きと言動と体の傾き姿勢、そして歩き方なのだった。当然のことではあった。でも忘れていた。
顕示とは隣人との抗争欲ともいえる。営業において、抗争する相手はデュエリスト同士ではない。面白いことに、自分の作り上げた理論や精製したデッキは同じカードのデッキを持つもの同士ではなく、カードのことなんてまるで知らない無関係な世界に生きる女の子であるようだ。
「ナンパはデュエル」ではない。
「ナンパは営業」なのだ。
※遊戯王カード欲しい人、売ります(^-シンクロ出たてのころのカード群です(^^関係ないけどブリューナクと大嵐禁止カードらしいな(^^それと関係ないけどギアタウン張替えできないらしいな(^-^それともうひとつ開闢とDDB復帰したらしいな(^^
かわいい遊戯王っ子リスト