私の涙腺はどうも、「無能感」という言葉の為だけにあるようである。
〜進撃の巨人12 諌山創 表紙〜進撃の巨人12巻
第50話 叫び。エレンが笑うところ。あれがいつ見てもジーンとくるのだ。
〜進撃の巨人12 諌山創 第50話 叫び p159.160より〜エレンはハンネスや母さん、ミカサに対して泣いているのではない。己自身に泣いているのだ。どうしようもなく悔しくて泣いているのだ。
あの時エレンは何も見えていない。巨人はおろか、ミカサも、真後ろで叫んでいるアルミンにも。あの2ページ、人も巨人もわんさかいる中でエレンは孤独に満ちている。叫びながらエレンは1人、己の半生を胸に突き刺していきながら深く深く心の奥深くへと堕ちていくのだ。
私も己の無能感から堕ちたことがあった。自己嫌悪が胸を食いちぎり、横隔膜が勝手に震え出し、笑いが止まらなかった。と、同時に、底なしの闇に永遠と堕ち続けていくような、そんなような状態になってしまっていた。浮遊感は感じられない。ただ堕ちるという感覚だけが脳裏を支配し、苦しみ悲しみ怒りが混じり合った感情に身体を引っ張られ続けているかのような感覚に私はいつの間にか、叫び続けることしか出来なくなってしまっていた。
永遠なのだ。永遠に堕ち続けていく。現実のそれは一瞬の出来事であり、一夜の出来事にしか過ぎない。だがあの時の自分は、永遠を感じていた。まるであの出来事だけ時間を止められたかのような、まるで今の自分はあの時の自分とは別の自分であり、本当の自分、過去の自分はまだあの場所で笑い声と叫び声を上げ続けているのではないか、と思う程に、今もなお私の記憶の中に深く刻み込まれている。
堕ちていく度に感じるその闇の正体は、自分自身のことなのではないか、と私は思っている。闇とは得体の知れない暗いものだ。人を孤独に陥れるものだ。光がないから己のこの目で見えることはない。ただ、実体がないというわけではなくて、形は確かにそこにあって、堕ちていくたびに体に突き刺し殺していくかのような刺激を与えていきながらこの身に触れてくるから、それが一体どんなものなのかは、自ずとわかる。そうして知り得たそれこそが自分という存在であり、この堕ちていく闇の正体だったのではないだろうか。
闇に捕われ孤独に陥っている時、人は自分自身の存在を深く深く見つめている。
エレンはあのシーンでずっと下を向いていた。下を向きながら高らかに笑い、そして叫び声を上げた。剥きだすように広げたその目には何が写っているのだろう。子供の頃、助けることのできなかった母親を思い出しているのか?いいやちがう。闇に堕ちて行きながら己を見、そして孤独に笑い、歎き叫んでいるのだ。
「エレン」
そう、一声を掛けたのは、体の骨が砕け動けなくなってしまったミカサであった。エレンの感情が止まる。失墜が停止する。闇色であった脳裏が一瞬にして白く明るく照らされたかのように。そしてハッと、身を上げる。夢から覚めたような、刹那に命を絶たれたかのような顔で隣で寄り添うミカサを見る。まだ理解ができない。まだ脳裏が白く、目が固まったまま。だが感覚がだんだんと戻ってくる。後ろでアルミンが恐怖に慄き、此方を見ている姿が目に映る。助けを求めているような、絶望したかのようなそんな顔だ。
「ありがとう」
横でそう話すミカサの顔は、感謝に満ち、温かみに満ちた笑顔であった。その笑顔はこの想像を絶する理不尽全てを受け入れたかのようなそんな顔であった。
無能感。それは弱い自分を目にした時に既に生まれている感情のことである。人は誰か認識することでその無能感というものを忘れてしまう。いや、その誰か捕捉する認識が忘れさせてしまうのだ。孤独を消し去り、己を忘れさせてくれるのだ。自分を知りすぎては生きていけない。闇に堕ちていくその速さが、己の身体を押し潰していってしまうから。
私が堕ちていたその時、不幸にも私を忘れさせてくれる誰かがいなかった。身体が押し潰されなくなり、全く異なる私が生まれてしまった。今の私の存在になれたことで、果たして良かったのだろうか、悪かったのだろうか。それを知ることができるのはまだもっと先の事になるのだろう。
私は気に入った部分をこのように自分自身に当てはめていきながら読んでいくから凄く遅い。漫画はしょうがないにしろ、知識を詰め込むための本だけは速読で効率よく読んでいきたいものである。