教師やって、男優やって、営業して、夜の職やって、君は何がしたいの?とのことをありとあらゆるジャンルの人々から最近非常によく聞かれる。言われるたび「んーと」となる。んーとが蓄積すると腹立たしくなる。
何故んーと、となるのか。教師をやりたいからんーと、となる。営業したいから、男優したいから、夜職やってみたいから、んーと、という回答になってしまう。そこに理由はない。それをやりたいだけでは、理由にならないのだろうか?複数の欲求は人様からそんなに疑問に思われることなのか?この人の将来、大丈夫かな、とでも思われているからそんな質問が飛び出すのだろうか。お前は私のオフクロじゃないんだから、そんな心配するのは間違いだ。オフクロじゃないのにそんな質問を飛ばしてくるというのは、どうやらその人から卑しい感情を向けられているのでは?と勘繰ってしまう。この人はしょーもないヒト、僕は私はこの人よりマシ、などと、私という人間と何かで比較する事により心安らかにしているのではないのだろうか、と。
将来のことを考えずに生きている。将来の自分から逃げている。だから君はそんな事をやっているんだ。そう言われたら、確かにそうだよな、と私は納得はできてしまう。勿論ここは大人世界だから、そんな事を言う程のお節介はいないとは思うけれども、ここでも勘繰りがあって、私の将来について聞いてくる人たちは、実はそんなことを私に言いたくて言いたくて仕方がないんじゃないか、とも考えてしまう。もしもそう言われたのなら私はそうやって言葉を返すだろう。
だが、素直に納得は出来てしまうけれど、その彼らが否定した今私がやっていることって果たして悪いことなのか?って思ってしまうし、相手にその否定的な意見を押し付けまくられるとつい、それを言葉に出してしまう。彼らは彼らとは真逆の外道な生き方をしている私のことを悪としたいんだろうか。私の進んでいる人生を悪と捉えることで、己の道を自己肯定したいのだろうか。それとも高石さんが言う様に「私を理解してくれなくて寂しい」思いを抱かせてしまっているのだろうか。
外道なのは認める。が、悪に仕立てられるというのは無論いい気はしない。仕方ないことだということで諦めてはいるけれども。そんな対外道用の悪意を向けられている場合、私は彼らにどう向き合っていけばいいのだろうか。あぁ。北海道のジンギスカンをまたも思い出す。今思えばあの一週間は人生2週分くらいの情報が込められていた時間であったな。
私に対して私の将来を私の口から回答を得て探ろうとする人がかなり多いので、多分それが、私と会って会話をした時のごく普通のリアクションなんだろうなと思った。詰まる所、量産型の人間という認識でいいんだろうな。一般的な思考回路をお持ちの方々ということだ。もしかしたら私は一般や集団や社会に対してコンプレックスがあるのかもしれない。集団でワイワイやっているヒト見ると確かになにか辛さを感じてしまう。羨ましく憎くて悲しくなる。もっともそれらのコミュニケーションにはハナから馴染む気はないのかもしれない。1:1のコミュニケーションをとことん磨いていきたい欲がとても強いように感じる。1:1のコミュニケーションは今は営業での合流。うまくいく人は何でか上手くいく。上手くいかない人は会って5分後とかにダメっぽく感じ始める。女の子と接している時の様だ。
苦手だなぁとか、無理だなぁとか、合わないなぁと思う人たちに自分の弱点があるだろう。今の所、営業した女の子はみんなこの三つのどれかに当てはまってしまう。男では半分の半分ほど合いそうだなと思う人が出来る感じなので女の子も同じ様な割合で出来る様に自分の感覚を鋭敏にしておきたい。
苦手だなと思うところに自分の本質が隠されている、と私は思っている。その自分の本質を追求していこうと思っている。自分探し的な。自分探しっていうと自分を探しに海外に行った女が特に自分が見つからず帰ってきてしまったという、「結構失敗しちゃう意識高い系の言葉」な感じがするので、あまり好んでは使いたくはないのだが。
プライドが高いから「んーと」と困りながら、相手に傷をつけられたとカッカしてしまったがために、長々とスラスラとこのような文章が書けたんだろうと、書き終えた後さぁこの文章のタイトルはどうしようかなぁと悩んでいる時、ふと思った。