孤独の随筆
- 2016/09/01
- 03:48
久々にフェイスブックを更新することにした。就職先やプロフィール画像、諸々随分といじっていなかった。
更新を終え、なんでかふと過去のフェイスブックの僕の写真集を遡った。幸せそうな僕の同期、同僚たちの顔や姿が何枚もあった。なんでわざわざつらくなるものを今見ているのだ、そう思ったが写真集をスクロールする指は止まらなかった。懐かしく錆びた苦いその電子の写真たちを眺めながら僕はあの空間、あの社会から外されるべくして外されたんだと、ここに来るべくして来たのだと、そう思った。
僕の周りには人がいた。営業と呼ぶ前から「ナンパ」は当時からしていたし、女の子との関係も日本人男性平均一生涯異性経験人数を上回る程には肌を重ねていたし、所属グループはいくつもあり、何よりよくはなし、よく笑い、よく人との関わりを持とうとたのしく密接に努めていた。
そんな当時から僕は人が周りに居ながらも、孤独という世界にいたのだった。あそこでのかかわりが、逆に僕の孤独という世界をより強く、確かなものにしていたのかもしれない。
そういえば僕は僕が映る写真というものを極力残さないようにしていた。フェイスブックではタグ付けをされぬよう、アップロードする写真は自分が映ってないものを選び、上げていた。だから僕のフェイスブックの写真集の中には当然僕はいなかった。もしかしたら僕は自ら彼らとのかかわりを拒絶し自ずと孤独の道へと進んでいったのではないか、そう、推察できてしまっていた。うれしさと悲しさがまじった涙がこぼれるような気がした。
僕は今、「ナンパはエンターテイメント」のヤマザキさんとの飲んだ時の記事を随筆している。彼とのかかわりは僕にとってとても貴重で素晴らしく、書きたいことが多すぎで、とてつもなく時間がかかりそうな経験となった。
彼は僕に似ていた。界隈の大御所である歳上の彼に親近感を抱くなんてのは随分と傲慢なことだとはおもう。だが、そんなのはお構いなしに僕は彼から僕が今まで抱き続けていた孤独を見出していた。
彼の過去を僕は知らないし、今の彼のことも「ナンパをしている」ということくらいしか結局のところ知らない。だが、彼もまた、周りに人がたくさんいて、よくはなし、よくあそび、よく笑う人でありながら、孤独を持ってきていた人なんだろう、僕は彼の事実や都合なんぞお構いなしに勝手ながらにそう思ったのだった。
だが、彼と僕は確実に違う。全く異なる存在だ。今この場で間違いなく言えること。それは、彼は僕がもう捨ててしまった、「周りに人がたくさんいて、よくはなし、よくあそび、よくわらう」ということをし続け磨き続けてきた人である、ということだ。僕の孤独を紐解く何かが潜んでいるように感じた。
更新を終え、なんでかふと過去のフェイスブックの僕の写真集を遡った。幸せそうな僕の同期、同僚たちの顔や姿が何枚もあった。なんでわざわざつらくなるものを今見ているのだ、そう思ったが写真集をスクロールする指は止まらなかった。懐かしく錆びた苦いその電子の写真たちを眺めながら僕はあの空間、あの社会から外されるべくして外されたんだと、ここに来るべくして来たのだと、そう思った。
僕の周りには人がいた。営業と呼ぶ前から「ナンパ」は当時からしていたし、女の子との関係も日本人男性平均一生涯異性経験人数を上回る程には肌を重ねていたし、所属グループはいくつもあり、何よりよくはなし、よく笑い、よく人との関わりを持とうとたのしく密接に努めていた。
そんな当時から僕は人が周りに居ながらも、孤独という世界にいたのだった。あそこでのかかわりが、逆に僕の孤独という世界をより強く、確かなものにしていたのかもしれない。
そういえば僕は僕が映る写真というものを極力残さないようにしていた。フェイスブックではタグ付けをされぬよう、アップロードする写真は自分が映ってないものを選び、上げていた。だから僕のフェイスブックの写真集の中には当然僕はいなかった。もしかしたら僕は自ら彼らとのかかわりを拒絶し自ずと孤独の道へと進んでいったのではないか、そう、推察できてしまっていた。うれしさと悲しさがまじった涙がこぼれるような気がした。
僕は今、「ナンパはエンターテイメント」のヤマザキさんとの飲んだ時の記事を随筆している。彼とのかかわりは僕にとってとても貴重で素晴らしく、書きたいことが多すぎで、とてつもなく時間がかかりそうな経験となった。
彼は僕に似ていた。界隈の大御所である歳上の彼に親近感を抱くなんてのは随分と傲慢なことだとはおもう。だが、そんなのはお構いなしに僕は彼から僕が今まで抱き続けていた孤独を見出していた。
彼の過去を僕は知らないし、今の彼のことも「ナンパをしている」ということくらいしか結局のところ知らない。だが、彼もまた、周りに人がたくさんいて、よくはなし、よくあそび、よく笑う人でありながら、孤独を持ってきていた人なんだろう、僕は彼の事実や都合なんぞお構いなしに勝手ながらにそう思ったのだった。
だが、彼と僕は確実に違う。全く異なる存在だ。今この場で間違いなく言えること。それは、彼は僕がもう捨ててしまった、「周りに人がたくさんいて、よくはなし、よくあそび、よくわらう」ということをし続け磨き続けてきた人である、ということだ。僕の孤独を紐解く何かが潜んでいるように感じた。