女嫌いの女好きコンプ
- 2016/10/25
- 17:24
『エロ垢はブロック』とツイッターの自己紹介に記載している可笑しな女アカウントがいた。何故おかしいのか、それはその女アカウントが僕のフォロワーである『エロ垢』の男に散々只管に絡んでいっているからである。まるで…今夜抱いて下さい、いつでも貴方のこと考えてます、貴方とエロい事がしたいんですとr18全開であった。彼女だけに関わらず、その『エロ垢』の彼の元には『エロ垢はブロック』『出会い求めてません』『オフパコ絶対に無理』な女の子ばかりが集い、彼に会いたい、彼に抱かれたいと口々に呟いていた。
その光景はまるで高速に回転する一本の野太いドリルの様に触ってはならぬ恐怖、近寄り受け入れがたいもので、しかしそのドリルは哀れにも無様にもその光景を見続けている僕の元へと飛び込んで来て、飛び込んで来た先の僕の頭蓋を易々と砕き、血と骨を撒き散らしながら貫通させ、毛と骨が消し飛び、露わとなったその脳味噌に今度は何処から取り出してきたのか、まるで分からぬ程に悪臭漂う反吐を手でわざわざ丁寧に確実に塗りったけるような感覚であった。
僕の女嫌いはこういうところから来ていた。コンプレックスという奴だ。痛む古傷を撫でるように僕は昔の自分を思い出していた。
それが女という生き物で、彼らにはついていって僕にはついてこない。そういうものだということを随分昔から知りえていて、そのことを理解しながら僕は近年活動をしていた。なぜ、僕にではなく別の男の方へ寄って集って遜るのか、僕は常々そんなことを考えていた気がする。そこまでバカじゃ無い、3秒掛からずともその答えは出ていた。「今の僕に魅力がないから」他ならなかった。そんな事を知った非モテの僕は筋トレしたり、服を簡素で爽やかなものにかえたり、眉を逐一整えヒゲの脱毛にいったり、試行回数を重ねるため営業をしたり、口説きのテクニックや女を引寄せるためのマインドを身につけたりするために「ブログ」を死ぬほど読み漁り、はたまた「講習」を受けてみたり僕が持ちえていない魅力とやらを磨き続けていったのだと思う。女が引きつく者となること、まずは女を知る事がモテのマインドになることには違いはなく、それを実践する事でそれなりの女の子を抱く事に成功した。
そんな事を僕は数年やっていたのだが、なんでか途中で飽きてしまったのか、最近は必死こいてやらなくなってしまった。今の僕にかつてほどのモテへの執念はなくなってしまったのかもしれない。それはきっと、男優になったことと関係しているのだろう。僕の性欲が仕事の方で解消されるためだ。男のモテたいという気持ちの原動力は何でできているかと言われたら80%以上が性欲で構成されているのは絶対に揺らぐことのない事実であり、僕は今までセックスがしたいがために僕がもっていない「魅力」とやらを磨き続けていた。完全にはではないにしろ、モテという概要全体を知り得るほどには身に付ける事ができたと思う。あとはその経験と引き付けるための精度を上げることであり、繰り返し続けていく事できっと、コンプレックスが本当にあったのかわからなくなる程の魅力的な人間になりえたのだと思う。だが僕は、(これを仕事を言い訳にするのはどうかとは思うのだけれど)性欲というモテを求む理由の80%が無くなってしまっていて、また、もともと怠惰的な人間というのもあり、活動の継続しなかった僕は結果として今、コンプレックスがあったのかどうかわからなくなる程の人間にはなってはいなかった。完全なモテマインドの人間になっていたわけでは無いようだった。ツイッターで女の子という生き物を見た時の僕の感情が証明となっている。
僕は「魅力」を必死こいてやらなくなった代わりに、今度は、だらしなく気力なく情け無く飽きなく延々と長々とふら々と、まるでこの手段に依存するかのように続ける様になっていた。魅力を磨くというモテへの手段に依存するというのは、言葉の響きとして悪いことのような、いい事のような、よくわからない印象を受ける。まさにそのとおりで、僕は自分自身にとっていいことをやっているはずなのに、何か良くないような、それを続ける事でどこか気分がすぐれなくなるような、病んでいってしまうような気がして、結果として辞めていってしまうのだが、けれどもそれをしなかったら、僕はこの世界で一人取り残されてしまうような、そんな感覚に縛られてしまって、孤独ではありたくないがため、一度辞めたそれをまた再開したり、気分がすぐれなくなる嫌悪感に浸り続けてみたり、と、そんな様なことを己の中で円環をなす様にして良い事悪い事を、ぐるぐると繰り返し続けている様な気がする。僕はこの魅力を磨く事をしないときっと生きてはいけないし、矛盾するようだが磨き続けていってもまた己が磨り減り生きて行く事ができないそんなような人間になっていたのだと思った。どちらかに振り切れば強く生きれる筈なのはわかっている筈なのだがどうにも吹っ切れないようであった。
良い事、悪い事を続ける僕の中にはきっと、モテへの原動力である性欲を差し引いた分、20%以下をしめるもの、「寂しさ」によって動いているのだと思う。燃えカスのようにスカスカに残った灰のようなものだ。成仏しきれなかった呪縛霊の如く、街を彷徨う様にしながら街行く女の子を眺めては声を掛けたり、己の鏡を見ては服を着替えたり脱いだり、自分の録音された声と別の人の音声を聞き比べて真似たり変えたり。そんな様な事を繰り返している。
女嫌いの女好き
営業、契約、何より女の子が大好きで大嫌いな僕にとってはこの上なく明確に表現されたこのコンプレックスはこんな事を繰り返している限りきっと解消できないのだということは知っている。結局この文章を書いて見たところで、コンプレックスの解消の糸口は見つからず曖昧になってしまったからだ。
コンプレックスではなくて、コンセプトに変化しているのかもしれない、そう思った。