iPhoth狂
- 2017/03/26
- 04:40
iPhoneのバッテリーが持たないのは意図的なものを感じる。
イットキは、iPhoneをこじ開けてサイズ同じ、中身別物の強化バッテリーを入れて使うことが出来ていた(対策をされて今すると起動しなくなる)。むしろ危険である改造についてを出してしまいたくなるほどにiPhoneは欠点がいつまでも治らないし、治す気がないように見える。だが、他のスペックは素晴らしいからか、アプリの数が多いからか、ブランド的な意味合いもあるからか、中々手放すことが出来ない。手放すことが出来ないからなんとかして完成されたものに近づけようと試行錯誤を繰り返し、危険なことをしたり、時にその欠点を諦めて受け入れたりする。
欠点を諦めて受け入れた人、もっとも殆どのiPhoneユーザーであるが、いつも電池がきれそうなiPhoneのために電源タップを探し街を部屋を彷徨う。または中々に暈や重が嵩むモバイルバッテリーやコンセントを持ち歩いたりする。本当はこんなことはしたく無いはずなんだが、仕方がないのだ。バッテリーがすぐになくなるから。
iPhoneのためにバッテリー問題に己が寄り添い、不平不満を言いながらも使い続けようとするその図はまるで、ダメンズにハマる女の子達のような仕組みが組み込まれているように感じる。
明らかにデメリットの方が大きいのに、メリットが大きく、また、かけがえのないものに見えてしまって、関係を持ち続ける。「そんなダメンズ、別れた方がいいよ」なんて言っても無駄だろう。その子のためを思って言っているのにまるでいうことを聞かないだろう。むしろそのダメな関係をより強固にしてしまうだろう。数少ないメリット(実はメリットでもなんともないものの方が多かったりするのだけれど)に盲目になってしまって、周りの声も自分の立ち位置も何も分からなくなってしまっているのだから。
依存というのはどこの社会にもあるし、どんな人間にも当てはまるものだ。それはモノだったり、人だったり、社会全体に対してだったりする。何かにくっついていないと不安なんだろうと思う。
メリットがあるからくっついているとはいえ、本当はそんなメリットも大したものじゃなかったりするというのは、別に依存する対象はなんでも良いのだと思う。何かしらに依存をしないとやっていられない、依存をするためにそんなデメリットばかりな関係を持ち続けたり、己の行動を制限したりするのかもしれない。だとしたらそれはそれでその人の目標は達成されているのだから、幸せなのかもしれない。
仮にそんな依存をしなくてはいけない人に依存の手から逃れてもらうよう、なんとかしたいというときは、依存しなくてはいけない理由の解決に焦点を当てなくてはいけない。
iPhoneをやめられない人はソシャゲをやめられないのかもしれない。ソシャゲをやめられない人はソシャゲに依存しているわけだから、またその「ソシャゲに依存せねばならない理由」を突き止めることとなる。紐解くように相手のことを考えてあげることが相手の依存から解き放つ唯一の方法なのではないだろうか。
iPhone5でスマホデビューし、後にiPad、ガラケー、激安Android、Windows Phoneへと機種を変更してった僕は結果として、今月iPhoneSEを契約した。一周回って見た目が初めてのスマホと全く同じiPhoneSE。アレコレと様々な手を駆使して、月3000円で維持ができるように契約をした。人気機種をかなり安く契約できて貧乏人の僕は満足してて、中身の変化に心が踊らされている最中だけれども、中身が変わっても相変わらずバッテリーはクソのまま変わらないようである。
ブランドとは、コストである。コストをかけることこそが愛、という価値観もどうやらこの世にはあるようだ。