歩幅のミラーリング
- 2015/06/05
- 16:48
ラポールとは仲良しさの度合いのこと。仲良くなることのこと、またはその過程をラポールを築くと表現する。ミラーリングとはラポールが築けるにあたり、行動や体の緊張状態、言葉がまるで鏡を見ているかのように二人一緒になってしまう一種の現象のことである。同調とも呼ばれる。
つまり体の状態が一緒の人間はラポールが築けているということである。
カップルが目の前を歩いていた。
二人は手を繋ぎ、歩いている。
歩幅は一緒。彼が右足を出せば彼女もまた右足を、左足を出せば左足を。繋いでいない方の腕を振れば逆もまた同じような振り子運動をしている。ぱっと見、あれ?ちょっと不自然だな…ラポールくそレベルやん、もしかしてこれ円光とか同伴か何かか?とかおもうカップルがいたりするけれどその足をよーく見るとその歩みは左足右足が逆なだけで同じだったりする。
「あれー?やっぱりラポール築けてるのか…」
すこし疑問だった。
街ゆく手を繋いでいるカップルの足元を見る。
んー、どれもこれも足の歩幅はあっている。
「この世のカップルはみんな仲が良いのか?」
やはり疑問でしかなかった。
絶対ありえんやろ。
もっとも私が声をかけるのは目の前に男がいるカップルではない。一人で歩いている女性たちだ。それを尻目にPlanを立て営業Doを開始する。今回の営業ではこんな事に気をつけながら声をかけていた。
Plan。「同調」
相手の身体的状態、動き、緊張部位を後ろで追いかけながらミラーリングしていく。そして一言声をかけてスタート。
これを行うには自分がトランスになっていなければならない。トランスに入る事で自分は自分自身を観察をする事ができ、相手の細かなところも同調出来るようになる。トランスになっていないと自分が相手の体の状態を完全に同調させる事ができないのだ。
Do。
私は目の前のハイヒールでかつかつ歩きながらバックを肩にかけいかにも不満そうな顔をしながら歩いていそうなギャルを後ろから追いながら同調していった。
上半身の緊張、動き、そして歩幅…
彼女の後ろの背中だけを見て私の中へコピーしていく。
「あれ?」
異変を感じる。
足元に盲目であった事に気がつく。
いや、足元までコピーできているちゃんと見れてる。
いや、そうじゃない。
このままでは声かけられなくねってこと。
なんで?
だってそりゃ…
「後ろにいるのに歩幅同じ、歩くスピード全く同じにしてたら声かけられるところまで追いつけなくね?」
当たり前の事に気がついた。
なにアホな事してたんだろう私は。
私は面倒臭くなり走ってその子の横に並び
「こんばんは」
二人連れだった。初めての逆3、五月の最後の日の記事へと続く。
Check。
そして今日。のんびりとフードコートでこの記事を書いている。
カップルが歩いている。
手を繋いでる。歩幅……は、同じ。
そりゃそうだ。手を繋ぎながら同じスピードで歩いているんだもの。自然と歩幅は同じにはなるわ。なーにいままで考えていたのだろう私は。私は彼彼女らの足だけを見ていたのだ。全体を見よう。二人の体全体を。
無理やり相手の歩幅が同調される事でお互いにそれ以外に無理な体勢になっていないだろうか?そういう所をみていこう。そういう観察眼が私には必要だ。
人は完全には同調できない。故に分かり合える事ができない。確かに同調をしていく事でラポールは築けるが、会話をするにはどうしても齟齬が存在する。相手に声をかけるという行為そのものは決して同調ではないのだ。自分という個人の表れだ。そのお互いのズレを楽しむのも営業の楽しい所かなとふと感じた1日であった。
Action。
トランスや同調にとらわれ過ぎないように。原動力を忘れずに。
つまり体の状態が一緒の人間はラポールが築けているということである。
カップルが目の前を歩いていた。
二人は手を繋ぎ、歩いている。
歩幅は一緒。彼が右足を出せば彼女もまた右足を、左足を出せば左足を。繋いでいない方の腕を振れば逆もまた同じような振り子運動をしている。ぱっと見、あれ?ちょっと不自然だな…ラポールくそレベルやん、もしかしてこれ円光とか同伴か何かか?とかおもうカップルがいたりするけれどその足をよーく見るとその歩みは左足右足が逆なだけで同じだったりする。
「あれー?やっぱりラポール築けてるのか…」
すこし疑問だった。
街ゆく手を繋いでいるカップルの足元を見る。
んー、どれもこれも足の歩幅はあっている。
「この世のカップルはみんな仲が良いのか?」
やはり疑問でしかなかった。
絶対ありえんやろ。
もっとも私が声をかけるのは目の前に男がいるカップルではない。一人で歩いている女性たちだ。それを尻目にPlanを立て営業Doを開始する。今回の営業ではこんな事に気をつけながら声をかけていた。
Plan。「同調」
相手の身体的状態、動き、緊張部位を後ろで追いかけながらミラーリングしていく。そして一言声をかけてスタート。
これを行うには自分がトランスになっていなければならない。トランスに入る事で自分は自分自身を観察をする事ができ、相手の細かなところも同調出来るようになる。トランスになっていないと自分が相手の体の状態を完全に同調させる事ができないのだ。
Do。
私は目の前のハイヒールでかつかつ歩きながらバックを肩にかけいかにも不満そうな顔をしながら歩いていそうなギャルを後ろから追いながら同調していった。
上半身の緊張、動き、そして歩幅…
彼女の後ろの背中だけを見て私の中へコピーしていく。
「あれ?」
異変を感じる。
足元に盲目であった事に気がつく。
いや、足元までコピーできているちゃんと見れてる。
いや、そうじゃない。
このままでは声かけられなくねってこと。
なんで?
だってそりゃ…
「後ろにいるのに歩幅同じ、歩くスピード全く同じにしてたら声かけられるところまで追いつけなくね?」
当たり前の事に気がついた。
なにアホな事してたんだろう私は。
私は面倒臭くなり走ってその子の横に並び
「こんばんは」
二人連れだった。初めての逆3、五月の最後の日の記事へと続く。
Check。
そして今日。のんびりとフードコートでこの記事を書いている。
カップルが歩いている。
手を繋いでる。歩幅……は、同じ。
そりゃそうだ。手を繋ぎながら同じスピードで歩いているんだもの。自然と歩幅は同じにはなるわ。なーにいままで考えていたのだろう私は。私は彼彼女らの足だけを見ていたのだ。全体を見よう。二人の体全体を。
無理やり相手の歩幅が同調される事でお互いにそれ以外に無理な体勢になっていないだろうか?そういう所をみていこう。そういう観察眼が私には必要だ。
人は完全には同調できない。故に分かり合える事ができない。確かに同調をしていく事でラポールは築けるが、会話をするにはどうしても齟齬が存在する。相手に声をかけるという行為そのものは決して同調ではないのだ。自分という個人の表れだ。そのお互いのズレを楽しむのも営業の楽しい所かなとふと感じた1日であった。
Action。
トランスや同調にとらわれ過ぎないように。原動力を忘れずに。