格安でとったビジネスホテル。ベットはもちろん一つだけ。美女と密室、しかも三日間もだ。なに考えているんだこの子は。男と、しかも初めて会った男と三日間屋根を共にする。何かないはずはないだろう。なのに何故きた。
約束を取った時点でそれは把握していたのに、それがいざ現実に直面すると改めて訳がわからなくなっていた。
これはやっても良いという暗黙の了解なのか?
「びっくりしたわ。」
「ん?何が?」
「まさかお前がこんっっなに可愛い子だったとは。思ってもなかったよ。やぁって言われるまでずっとだ。トロールみたいな女が来るものだと思ってたから」
「トロールw」
「それがまさかのAKBの18番目くらいにいそうなくらいの顔。はんぱないね。」
「え、なにそのはんぱな感じのw」
私が彼女に発した第一声はネグであった。もちろんネグという言葉は知らない。がしかし美人は外見を褒め慣れている。だから褒めるな、余裕を持って貶せ。というのはネットで既に知り得ていた。それにのっとり力の限りをつくして貶そうとしていたのだが余裕が作れないのではと、この緊張がばれているんじゃないかと心配でしかなかった。
「とりあえず飯でも食おうか。」
「私食べたから食べないよ」
「俺が腹減ってるから入るの。だから俺の食いっぷりをのんびり眺めてるだけでいいよ」
私が先に階段を上り、彼女に手を差し出す。
「さぁお姫様、ヒールで足元よろしくないでしょ。俺の手を握って」
営業師でもない私はいつの間にかそんな言葉を口にしていた。冗談のような言葉を真剣な顔色で。言い放つ。
なんでこの言葉が出たのだろう。今思い出しても笑える発言だ。そうだった。今思えば、このころから既に私はシステマチックなコミュニケーションを磨き続けていたのだった。心を鬼にすると言うことでかぶり続けた黒い仮面。その仮面は女性が喜ぶ有効な数々の甘い言葉を知っている。顔真っ赤になる怖がってしまう自分を殺して機械的に感情的な言葉を口から発してくれる。
例えば、〜は好きだな、だとか。〜ところ俺は好きだよ、とか。相手に勝手に勘違いをしてもらうために「好き」という言葉をI like moonlit night and youの様な、夏目漱石涙目の如く、軽ーい言葉として用いる…こういった言葉やコミュニケーションをその彼女と知り合うことになったグループチャット型のアプリではあらゆる女の子に平然と口にしていた。勿論これらの言葉を使うのは個別チャットでだが。
実際に会ったわけじゃないから、好きとなんか思っちゃいない。画面向こうの本人様は自撮りの上手いブス顏の子かもしれないし。でも私は好きという言葉を言うようにしていた。何故ならば女にそうすれば良いのだとネットにかいてあったから。何故ならば契約がただただしたかったから。何故ならば多数の女を私に惚れさせたかったから。何度も使ってきた。デブスだろうと顔を褒め、ゴミクズな人間性だろうと性格を称えた。もしかしたら会えるであろう美人を求めて。
だからそれらの言葉が自然な私として染み付いてしまったのだろう。黒い性格として、黒い人格として私の体をつい此の間迄支配していたのだった。
そしてこの時私はゴールとも言える美女を目の前にしていた。今日この日のために私は自分を偽り続けてきていたのだった。
自然と出たその言葉を聞いた彼女は、目を刹那に切り替える。まるでヒステリックに。擬音がなるならキュッというような。
「ちゃらい!触るな!」
「ん?」
「そーゆーのむり!触ったぶん殴るから!」
「ひぃー怖い怖い」
人生初の辛辣なチャラいグダであった。別にその拒絶に動じることはない。私はまるで欧米人のように肩と手をわざとらしくあげる「オーバーリアクションポーズ」をしていた。
軽く食事をとる。
彼女は私が注いできた水を飲んでいる。
落ち着きのない彼女。
「恥ずかしがり屋さんなのな、目が泳ぎすぎ」
「 だってそりゃ恥ずかしいでしょ普通。初めて会うんだし」
「確かに初めてだけどさ、俺らもう改めて話すようなことなんてほとんどないくらいの仲じゃね?まぁ面白いしそういうところ好きだからもっと続けて」
「ほんとてきとーだよねw」
初めて対面する彼女とのコミュニケーションで質問だとか彼女の知りたいことなんて一つもなかった。
昨日の仕事どうだったとか、なにできたのとか、てか4時間も遅れた、まじごめん、これってあれかな?格安航空だから結構遅れたりするんかな?だったら勘弁してほしいよねとか、てか機内狭くね?隣のおばさんの寝相当たるレベルとか。
もう彼女のことはネット付き合いでほぼ知りつくしていた。年齢や趣味特技、彼氏の数、感動したデート、初体験の年齢、セックス観はもとより心の闇や家族構成、職場、友達関係、過去など、恐らく彼女のことは地球上で誰よりも知っているんじゃないかっていうくらいの情報はすでに知り得ていたからだ。だからもう改めて聞いたりすることはない。
何故こんなにも彼女の知り得たのかって?カウンセリングの傾聴スキルを応用したからだ。彼女自らの心の闇、気持ちを打ち明けられ、信頼でき、かつ日々の心の支えとなりえる理想の男を演じ続けたからだ。インターネットはとてもそれを演じやすい。
何故理想の男を演じるのかって?もう随分と前の事で細かな感情の推移は曖昧でよくわからなくなっているが、全ての始まりはきっと、契約したいがための行動によるものだろう。
そう、別に会話することなんてない。
私はだんだん慣れてきていた。所謂ちゃらいと言われるような言葉もすんなり出てくる。いつもの調子を取り戻してきていた。テクニックを駆使していける。
心のうちの奥底で「私は誰よりも彼女のことを知っている。」というこの事実を喜び噛みしめている感情がいた。
ありえない。それは彼女のことを知っている気になっているだけだ。仮にそうだとしておこう。その事実は彼女と契約を結ぶというための目標において、何の意味も持たない。彼女の情報とは私が彼女と契約を結ぶことにおいての手段でしかないのだ。
私は現実に感動し噛みしめていた自らの感情に蓋をする。情けない、下らない、しょうもなくて、ダサすぎる。如何にも非モテが抱きそうな感情が身の内から湧き出たことに私は恥じていた。
その「彼女の情報」を多く知っていることによる感動の無意味さと恥を知り得ると、ふと寂しさを覚えたのだった。彼女のことを知っている、この事実が私の抱く欲望を哀れなものにしていた。
私の欲望ってなんだろう。
私は彼女に何を求めている?
目の前の彼女で満たされる私の欲望ってなんだろう。
______美人を抱けるということではないか?
性欲。間違いではない。正解だと思う。だけれどまだ別の答えがあるように感じた。
________美人のこの女を私だけのものにできると確信したからではないか?
支配欲。これも正解であろう。システマチックの礎とも言える偽りの黒い仮面を被り続けた私の新しい人格が求めているであろう欲望であると思う。
だがまだ納得がいかない。あと一つ。何か忘れている欲望が私の中にある。
『たとえ私が他の誰よりも彼女のことを知っていても、彼女は私の事を何も知らないのではないか?』
ふとこんな疑問が私の中でよぎる。涙がこみ上げてくる。初対面の美人を前にしてたわいのない会話をしながら急に泣きそうになっていた。会話をするのが急に苦しいものと感じられ、この感情に蓋をするために早く外に出たくなった。
ふと湧き出たこの疑問に対して私はとめどなく深い悲しみを感じ得ていたのだ。
何のために彼女に会いに来たのか。
彼女と流星群を見に来ただけ?いいや違う。契約して彼女を支配したいがために来たのか。あっている。だけれど他にも答えがある。それは自己承認欲。自己承認を満たすべく結果は私は彼女から得られるのだろうか?
彼女は私の内に秘めた目的だとか人格だとか求めているものだとか果たして知っているのだろうか?知らなかったら…どうなってしまうのだろう。
そさくさと食事を終え、コンビニで少しばかり酒とつまみを買いホテルに着く。
部屋のベッドに上がり、二人で酒を飲みながら、つまみを口にしながらまたたわいのない会話をする。何を話したのか、正直覚えていないくらいどうでもいい話だったと思う。
ベッドで隣り合い、ではない対面。
少し距離がある。私と彼女の間につまみと酒。それらをどかして手を伸ばせばすぐ届く距離なのに、私たちの間内にあるそのつまみと酒は、大型船の巨大な碇の如く不動な障害物の様に私は感じていた。
次第につまらない会話も続かなくなる。
私はきっも緊張していたのだろう、不安の表れだろう、「お酒減ってないよーちゃんとのもー」と、彼女に話しかけていた。障害物にもたれかかる様にして頼っていた。話題が出てこない自分を隠そうと心内で必死になっていた。
「なんか意外と腹一杯ね」
「それな」
私たちは食えず飲めずのそれらをベッドの隅に追いやって飲み会をやめにした。
「…」
「…なんよ、なにみてん」
沈黙を怖がっている私が口を開く。虚勢だろうか?この緊張は彼女も感じているのだろうか?
「べつにー?」
彼女はそういった。
「お前さ、」
「なに?」
「本当甘えんぼなの?」
「うん、まーね」
「どんな風に甘えんの?気になるw」
「どんなふーって…抱きついたりとか?」
彼女は顔を俯きながらそう答える。何やら体を強張らせているように見える。
「デレデレやんな。そうかい、んじゃ、ほら、おいで」
おいでおいでのジェスチャー。
「んー…」
俯いた顔をそのままにしながら、私のあぐらをかいている太ももまですーっと寄ってきて、抱きついてくる。
まるで肋にノックするように私の心臓は激しく鼓動していた。
「頭撫でられるのは好きだっけ?」
「うん」
「…」
そのまま頭を撫でていく。
生まれたての皮膚もまだままならない柔肌の赤ん坊を辛うじて撫でるかの様な、そんな優しいタッチで彼女の髪の毛を撫でる。何度も撫でる。撫でるたびに私はその現実を噛みしめる。私という人間を受け入れてもらいたいという醜い悲しき恥ずべき自己承認欲求が、彼女の髪を撫でるたびに一枚、また一枚とはがされ落ちていくかの様な。そんな気がした。気がしただけだったのだが、幸せだった。
錯覚なのに。
私は彼女の体を起こす。完全に私に身を預けている彼女。全身に緊張が感じられない。今思えば彼女はトランス状態に成っていた。意識が抜け落ちたかのように蕩けている彼女に私はその顎を右手で捉え、唇めがけて近付く。
「イヤッ」
人生初のキスグダだった。
顎を強く下に引き私を拒み、体の緊張を取り戻していた。強引はいけない。私はそう冷静に判断し次のステップに移った。
「ひっでーなぁー、何がやなの?」
「…」
何も言わない。
「俺の顔がブサイクだってんなら素直にそういえばいいじゃん?」
「そうじゃなく…」
「じゃあなぁに?」
「…」
何も言わない。
この時グダ崩し方なんて私は知らなかった。無理やりそれを突破しようとする。
強いグダ。
「キスはヤダ…」
なにそれ。ふざけんな。
言葉には言わなかった。
「んー、添い寝で勘弁してやんよ」
「やだ」
彼女は私に背を向けて寝て横になった。
なんだよそれ。ふざけんな。そんな悲しい事言わないで欲しい。言葉を堪える。感情に蓋をしろ、仮面を被り続けろ…!現実に沿って事を運べ。
次に私は彼女のそっぽ向いた背中に抱きついた。そして言葉を続けた。
「ごめんな、お前があんまりに素敵だったからつい積極的になってしまったんだ。抱きしめるのは…いいよな…?」
「…」
背中の向こう側で彼女は頷いた。
感情が溢れそうになる。抑えろ抑えろ…仮面を剥がすな…ずっと被り続ければきっと私の欲望は満たされるのだから。
本当は満たされないのに。
彼女はこちら側を向く。私たちは向かい合って抱き合った。そのまま私は彼女の髪の毛を撫でる。彼女の呼吸が深く、さらに大きく感じられる。抱き合ったままのミラーリング。私の呼吸を彼女の呼吸に完全にシンクロさせる。意図的な同調。意図的なそれは次第に本物のそれへと進化していく。抱き合い彼女と呼吸しあうたびにこの「初めて出会う美女と1日で抱き合う」という現実が体の中に染み入ってくるような。髪を撫でるたびに一枚はがされていった自己承認欲が、今度は溶けていくかのような。そんな感覚に私は陥っていた。私は抱き合いながらトランスに入っていた。
突然はっと我に帰る。溶け出していた私の意識は急遽切り替わりある行動を起こさせる。今度は抱きついたまま、また私は彼女にキスを仕掛けた。
拒まれる。首を振る彼女。
抱き合った状態だからわかる。彼女の全身の筋肉が強張っているのが感じられる。強く力をかけているのが腕から胸から呼吸から伝わってくる。
3度目のグダ。
私は少しだけ感情の蓋をしていた仮面から言葉を漏らした。
「なんでキスしないの?」
彼女はやはり答えない。何も言わない事には気にせず私は続けた。
「俺はさ、好きだから遥々お前に会いに来た。会ったことのない初めてのお前に会うために。そしてついいまさっき会った。会った瞬間本当に心を奪われたよ。だからキスをしようとしている。俺のいまお前に抱いているこの気持ちはそういうキスしたいっていう気持ちなんだよ。」
「時間が早いからとかそういうのは俺らには関係ないだろ?俺はもうお前のこと新しく知らなきゃいけないことなんてひとつもない。お前もそうだろう?」
「お前はなんで俺に会いに来たの?なんのために来たの?改めて自己紹介しあうために俺に会いに来たの?違うでしょ」
「教えてよ、お前は俺のことどう思っているのか」
俯く彼女。しばらく沈黙があった後。彼女はこちらを向き何かを言おうとする。
その刹那、私はその彼女の顎を手で捉え、上げ、私は4度目のキスを彼女にした。接触。彼女の全身を強張らせる力は再び抜け落ちていた。
猿と化した私は三日間の滞在で10回の契約をした。幸せだった、目標が達せられたと思った。欲望が全て満たされたと思った。美女を魔法少女に、私は今凄いことをしている。確信があった。自信に繋がった。だが私はその確信はまだ完成し切れていない自身の自信に耐え切れなかったのだ。
外に出て、ドライブをする。車内でお互いに体を貪り合いながら私は彼女にいった。
「付き合おっか」
と。
彼女はこう答えた。
「私はあなたを不幸にしてしまう」
私の承認欲という欲望はこの時潰えたのだと思う。
好きかどうかを聞いている。それはお前の気持ちではなくて俺目線の意見。俺のせいにしようとするなよ。お前の正直な俺への気持ちを言えよ。この時私はこの、彼女の言葉の意味がまるでわからなかった。だから彼女のその言葉を聞いた後、私はそんなようなことを言っていたような気がする。わからない。わからない。彼女そう言いながら、私へのことについてはもう言及する事はなかった。
ただ、この三日間、ずっと手をつないでデートしたり、ドライブしたり、食事したり、契約して、キスして、抱き合って、……私にとっては夢のような時間を過ごした。もう私の幸せはここでいい、このまま永遠を迎えてこの子と共に死んでいきたい。そう心の底から思ったのであった。
欲望全てが満たされていると錯覚しながら。
帰宅してからと言うもの、連絡は特に途絶えることもなくいつも通り相変わらず毎日、電話したりLINEしたりして接していた。会ってから増えただとか、減っただとかはなかった。
ある日何気ない話題の中で彼女は言った。
彼女に彼氏が出来たと。