書評『ぼくは愛を証明しようと思う』藤沢数希 著
- 2015/07/21
- 17:58
アマゾン川の戦い用の読書感想文です。
タイトル『はんぱななんぱ本』
評価★☆☆☆☆
はんぱななんぱ本
この本のアマゾンレビューの高評価を書き記した方々はこの本の評価ではなく、「恋愛工学」という有料メールマガジンに対しての評価を書き記している。この「ぼくは愛を証明しようと思う」という書籍の評価ではない。その証拠に本を読了せずにレビューを書いている人もいるからだ。なのでそれらのレビューはあてにしなくて良い。私は恋愛工学を購読をしていないナンパ師だ。だが、恋愛工学の内容は何となくは知っている。少し興味があった。
このレビューはこの書籍を本屋の立ち読みにて1度読み通し、購入してからもう一度読んだ結果、星1とした一人のナンパ師の意見として目を通していただければ幸いである。
さて、この本の私の思う評価は「テクニカル本として完成された物ではなく、かといって恋愛小説としても魅力がない本」ということだ。この本は全体的にテクニカルな部分を出しながら恋愛感情含めようとしていた。その結果作品として失敗して全体的に中途半端な物となってしまった。いや、そもそもテクニカルなものと恋愛感情的なものは相反するもので混じり合うことはできない。それは何故か。この本の中途半端さを引き出しにして綴っていく。
・テクニカル本としての半端さ
この本のテクニックはどれもすぐさま実践で使用できる大変に優れた物だ。だが、この本を読んだだけではナンパがうまくなるわけではない。失敗例よりもトントンと成功例を積み重ねていく描写に「もしかしたら俺もナンパすれば俺の欲しい女が手に入るのかも?!」と錯覚を覚えてしまうのではないだろうかと私は危惧した。ナンパに限らず大切なことは何かに失敗したらどうするかが必要だ。
恋愛工学を語るにしては恋愛小説としての感情論の部分が足を引っ張ってしまっている。この本は小説だから、つくりばなしだから論理的でなくたっていい、といって投げうりしてもいいのだろうが、何かナンパに期待をして読む初心者の読者にはその投げやりが悲しい結果を生んでしまうのでは?
そもそもだ。なぜ恋愛を論理的に説明しようという恋愛工学の初の書籍にもかかわらず最後の答えが「感情的な恋愛」いわゆる彼らのいう非モテコミットというものになってしまうのか。恋愛工学を名乗るのなら最後までそのシステマチックな恋愛を貫くべきなのでは?私は恋愛工学を購読してはいないからこのメールマガジンの最終的な目標はわからないが、恋愛工学の恋愛プレーヤーたちの本であるならばその「感情」というものを撤廃すべきなのでは?まさかメールマガジンでは「最終的に非モテコミットになることが幸せである」だなんていう結論がまとめられているのだろうか?この本は自らの首を自らで締め上げる自殺の本とも言える。論理的に半端なものだ。
・恋愛小説としての半端さ
小説だから〜とはいったが実は小説でもない。それは上にあるテクニックの部分があるから。また、この本の物語は淡々と進んでいく。そのテクニックの部分と物語進行の淡々さが主人公の渡辺の自身の葛藤の描写をそぎ落としてしまっている。結果感情移入がしずらいものとなってしまった。
恋愛工学を学んでいる方々はきっと感情移入が出来るだろう。削ぎ落とされて短くなってしまった感情の言葉がどれだけの物なのか知っている。削ぎ落とされた省略された描写がどれだけ熱い物で時間がかかって思いを注ぎ込んだのか、彼らは知っている。だから共感が出来るのだろう。だが、それを全く知らない人がこの本を読んだら?この本に感情移入が出来るだろうか。私はここの描写は大切なのではないかなと思う部分がこの本から多く感じられ、なんだか内容が薄い本だなと感じてしまった。
一目彼女を見たときの印象や愛し合うときの描写がかなり削られている。恋愛小説ならばここの感情描写は必須なのではないか?この感情の薄さには一つの仮説がある。それは主人公渡辺が恋愛を常に論理的に捉えるようになって経験を積むたびに感情の振れ幅が少なくなってしまったということである。ある意味で感情の変化を感じ取ることができるが、それは読み手の憶測でしかなく、この本の評価が上がることはないだろう。まるで歴史の年号と起こった出来事を単語のみ端から端まで見せられているかの気分だ。
以上のことから私は全体として中途半端な本、との感想を抱いた。論理に感情論を含めてはいけない。また感情は論理で比較して良いものでもない。この本は両者交わることはないモノを無理やりに詰め込んだ本だから、中途半端で気持ちが悪いものになっている。そしてその中途半端さは物語が終盤に進行するにつれより混沌と入り混じってくる。
この本の物語の中盤からでてくる「愛とは何か」という議題。このときはモデルを口説くときのルーティーンとして登場した。渡辺はこの時点では「愛とはその人の命を心配すること」という仮説を立てていた。最終章にもう一度渡辺が永沢(渡辺の仕事のクライエント、且つ恋愛工学の師匠)にそれを尋ねる。
「愛ってなんでしょうか」
と。
永沢は渡辺に初めの頃に言った定義を、お前も知っているのだろうと、何故それを今更聞くと言わんばかりに、さも当然のことのように恋愛工学に基づいた論理的にかつ的確な解答を渡辺に告げる。
そして恋愛工学を身につけ、全てを経験した渡辺はそれを否定するのだ。その悟りは恋愛工学という論理的恋愛解釈を真っ向から否定するものであった。恋愛工学で言う所の「非モテコミット」と呼ばれ忌み嫌われる存在、物語の序盤のもてなくてもてなくてどうしようもない渡辺的な存在に、戻るということであった。
タイトルの答えは出ている。それは序盤と最終章で永沢が渡辺に説明したものだ。この本は最後の最後に蛇足が生えてしまった。
故に私が思う
この本を読まないほうが良い、または読まなくても良いと思われる人間は以下の通りである。
❶AFC(平均的欲求不満男子:非モテコミットしている一般男子全般)
❷まだ一度も成功したことない、または現在試行錯誤段階のナンパ師
❸ルーティンが全てのナンパ師、または恋愛工学の履修生
❹自立した人間になりたいと願う男子全般
❶と❷はこの本を読まずに、または途中まで読んでから恋愛工学を購読すると良いだろう。途中まで読んでも良いとしたのは中盤の「ワタナベ君のショータイム」が必見だからだ。男なら誰でも燃え上がる展開に、あなたは自分の事のように渡辺の成長を嬉しく思うだろう。そして渡辺の朝チュンをこの本で聴いたのなら、あなたはそのまま本を閉じ、散々買い集めたあなたの自慰用ビデオ、同人誌、フィギュア、ポスター等とこの本を充分に入れる事のできる大きさに合わせたタイムカプセルに入れて、それを土に植えること。シャワーを浴び埃汗を流して清潔感のある格好をしたら、そのまま近所の本屋さんにおもむこう。立ち読みしている女の子を見つけたら近寄り「その本っ…」と声をかけ、振り向いたら会話をしていけば良い。そのあとの会話は何を話せば良いかわからない!そうなったのなら、恋愛工学を購読するといいだろう。回答がしっかり論理的に書いてあるだろうからしっかり読んで再チャレンジすると良い。そうしてナンパを続けていき、いつの日かくるであろう「あなたのショータイム」を堪能し結果を充分に出したと感じ、著者の藤沢さんに「ありがとう!」とファンになってしまったら、タイムカプセルを掘り起こし、この本を最後まで読むと良いだろう。あなたはきっと涙する。
❸はこの本を読む事であなたは今進んでいるこの道に悩んでしまう事になる。自分は間違っていたのか?こんな結末を迎えるのなら意味がないのではないか?と。この本は「論理的な恋愛は最後の最後に非モテコミットを導いてしまう」可能性を示唆しており、その、あなたが哀れに感じるであろう結末までしっかりと最後まで教えてしまう。内容は中途半端な本なのに結果と答えだけは明瞭に書き記されているためだ。あなたはこの本を読み心の奥底で絶望してしまうかもしれない。またはその結末を見て見ぬ振りをするかもしれない。それが芽生えた時点であなたは恋愛工学徒ではなくなる。あなたが信じて進んできた道を破門することとなる。あなたの道は決して間違ってはいないのだ。その道を真っ直ぐ志すと決めたのならこんなあなたを悩ませてしまう本は決してけっして読まずにどうかあなたが死ぬまでずっと走り続けて欲しい。
逆にこの本を読んでもいい、または読んだほうが良いと思われる人間は以下の通りである。
①一般女性全般
②ある程度ナンパを行って来て得るものは得たと満足した現在を送っているナンパ師。
③恋愛工学を卒業したいと思っている恋愛工学徒
④依存した人間になりたいと願う男子全般
①は恋愛工学プレーヤーへのメタを貼る意味で読むといいだろう。あなたはこの本を読み心底男という生き物は気持ちが悪い受け入れがたい存在と知るだろう。だが大丈夫だ。ちょっとこの本に出てくる事をあなたの目の前にいる男がしてきたら「《恋愛高額》って知ってる?最近うちらの間で流行ってるんだー」といえば良い。恋愛工学ではない、恋愛高額だ。あなたはなにも間違ったことを言ってはいない。そうして別に嘘を言っているわけでもないあなたの目の前の彼の態度が変化したのならすかさず「どうしたの?なんか今の君の顔かわいいね」とでも言い、「私◯◯君のそういう所素敵だよ」とでも言って直ぐさまタクシーで帰ろう。これであなたは恋愛工学プレイヤーにも立ち向かえるキラキラ女子の仲間入りだ。
②③はこの本を読む事であなたは新しいステージに進む事ができる。本当は自らの意思で気づき進めべきであるのだが、気づきを深め明瞭なものにする為に読んでみてもいいかもしれない。確かにテクニカル本として、恋愛小説としては中途半端な作品ではある。だがそれはそんなあなたの為に書かれた本だからだ。あなたはあなたが今まで歩んできた恋愛をこの本の渡辺に照らし合わせて読むことができる。「このルーティン、あの人が始めたやつじゃん」「そういえばこのテクニック、知らぬうちに使っていたな。こういう意味だったのか」と笑みや喜びをこぼしたり、「ああ、そういえば自分はあんなことがあったな…」だとか「ああ自分はそのことに悩んでいたのか…」だとか空虚な気持ちになったり。色々と気がつくことがあると思う。気がつく事であなたは変わるだろう。繰り返しになるが、本を使わずに気がつくことがベストなのだが。
❹④は微妙なラインである。④はぱっと見しょうもない人間に見えてしまうが決して悪いことではない。依存を求めている人間とは自分ではとくことのできない問題を前に挫折してしまった人間のことだ。人生行き止まりを感じてその場でうずくまっているくらいならこの本に沿って生きていくといい。依存のしすぎが悪いだけでちょっと手を借りたい程度なら大丈夫だ。❹も、自立しすぎて自己を引っ張りすぎて、もしかしたらあなたは勘違いを起こしているかもしれない。この本を読めばあなたの恋愛における勘違いは拭い去る事だろう。だが❶❷同様に全部読んではいけない。立ち読みでも良いくらいの量を読んで本を閉じることだ。自己の継続的な主張で傲慢になるのを防いでくれる。
以上である。
何はともあれ、この本の購入は私はオススメしない。ただ、人によってはむしろ読んだ方が良かったりするから、「最近話題の恋愛工学ってなんだろう…?でもぼろかすに言ってる人もいて評価に分かれてるな…買わない方がいいのかな…」とでも思っているのなら今すぐポチってしまうべきだ。そうしてこの本の書籍としての中途半端さをとくと味わい、いい意味でも悪い意味でも提示尽くされてしまった解を見てやっぱクソだったと感想を抱くだけでも購入する価値がある。
購入を勧めるが、最後まで読むことは許されない、そんな新しい恋愛小説だと思えばいいと思う。くそだからといって捨てたり売ったりするのはよくありません。あくまでもタイムカプセルにしまうのです。あなたの思いとともに。そこが大切です。
以上です。
私の拙文を最後までご覧いただき感謝申し上げます。
なかなか釣り精度が高いとおもっている。読んだはもらえなそうだ長いから。
読んだほうがいい判定の人はこちらの本もオススメ。テーマはぼく愛の対局。「感情」のハウツー本である。多くの人がノーと言っているがこれはハウツー本である。論理と感情の中途半端さをうまく活かせた本だ。ただし本書には要所要所に催眠術式が組み込まれているから注意。私の様な駄文長文を書く人間になってしまうぞ。
タイトル『はんぱななんぱ本』
評価★☆☆☆☆
はんぱななんぱ本
この本のアマゾンレビューの高評価を書き記した方々はこの本の評価ではなく、「恋愛工学」という有料メールマガジンに対しての評価を書き記している。この「ぼくは愛を証明しようと思う」という書籍の評価ではない。その証拠に本を読了せずにレビューを書いている人もいるからだ。なのでそれらのレビューはあてにしなくて良い。私は恋愛工学を購読をしていないナンパ師だ。だが、恋愛工学の内容は何となくは知っている。少し興味があった。
このレビューはこの書籍を本屋の立ち読みにて1度読み通し、購入してからもう一度読んだ結果、星1とした一人のナンパ師の意見として目を通していただければ幸いである。
さて、この本の私の思う評価は「テクニカル本として完成された物ではなく、かといって恋愛小説としても魅力がない本」ということだ。この本は全体的にテクニカルな部分を出しながら恋愛感情含めようとしていた。その結果作品として失敗して全体的に中途半端な物となってしまった。いや、そもそもテクニカルなものと恋愛感情的なものは相反するもので混じり合うことはできない。それは何故か。この本の中途半端さを引き出しにして綴っていく。
・テクニカル本としての半端さ
この本のテクニックはどれもすぐさま実践で使用できる大変に優れた物だ。だが、この本を読んだだけではナンパがうまくなるわけではない。失敗例よりもトントンと成功例を積み重ねていく描写に「もしかしたら俺もナンパすれば俺の欲しい女が手に入るのかも?!」と錯覚を覚えてしまうのではないだろうかと私は危惧した。ナンパに限らず大切なことは何かに失敗したらどうするかが必要だ。
恋愛工学を語るにしては恋愛小説としての感情論の部分が足を引っ張ってしまっている。この本は小説だから、つくりばなしだから論理的でなくたっていい、といって投げうりしてもいいのだろうが、何かナンパに期待をして読む初心者の読者にはその投げやりが悲しい結果を生んでしまうのでは?
そもそもだ。なぜ恋愛を論理的に説明しようという恋愛工学の初の書籍にもかかわらず最後の答えが「感情的な恋愛」いわゆる彼らのいう非モテコミットというものになってしまうのか。恋愛工学を名乗るのなら最後までそのシステマチックな恋愛を貫くべきなのでは?私は恋愛工学を購読してはいないからこのメールマガジンの最終的な目標はわからないが、恋愛工学の恋愛プレーヤーたちの本であるならばその「感情」というものを撤廃すべきなのでは?まさかメールマガジンでは「最終的に非モテコミットになることが幸せである」だなんていう結論がまとめられているのだろうか?この本は自らの首を自らで締め上げる自殺の本とも言える。論理的に半端なものだ。
・恋愛小説としての半端さ
小説だから〜とはいったが実は小説でもない。それは上にあるテクニックの部分があるから。また、この本の物語は淡々と進んでいく。そのテクニックの部分と物語進行の淡々さが主人公の渡辺の自身の葛藤の描写をそぎ落としてしまっている。結果感情移入がしずらいものとなってしまった。
恋愛工学を学んでいる方々はきっと感情移入が出来るだろう。削ぎ落とされて短くなってしまった感情の言葉がどれだけの物なのか知っている。削ぎ落とされた省略された描写がどれだけ熱い物で時間がかかって思いを注ぎ込んだのか、彼らは知っている。だから共感が出来るのだろう。だが、それを全く知らない人がこの本を読んだら?この本に感情移入が出来るだろうか。私はここの描写は大切なのではないかなと思う部分がこの本から多く感じられ、なんだか内容が薄い本だなと感じてしまった。
一目彼女を見たときの印象や愛し合うときの描写がかなり削られている。恋愛小説ならばここの感情描写は必須なのではないか?この感情の薄さには一つの仮説がある。それは主人公渡辺が恋愛を常に論理的に捉えるようになって経験を積むたびに感情の振れ幅が少なくなってしまったということである。ある意味で感情の変化を感じ取ることができるが、それは読み手の憶測でしかなく、この本の評価が上がることはないだろう。まるで歴史の年号と起こった出来事を単語のみ端から端まで見せられているかの気分だ。
以上のことから私は全体として中途半端な本、との感想を抱いた。論理に感情論を含めてはいけない。また感情は論理で比較して良いものでもない。この本は両者交わることはないモノを無理やりに詰め込んだ本だから、中途半端で気持ちが悪いものになっている。そしてその中途半端さは物語が終盤に進行するにつれより混沌と入り混じってくる。
この本の物語の中盤からでてくる「愛とは何か」という議題。このときはモデルを口説くときのルーティーンとして登場した。渡辺はこの時点では「愛とはその人の命を心配すること」という仮説を立てていた。最終章にもう一度渡辺が永沢(渡辺の仕事のクライエント、且つ恋愛工学の師匠)にそれを尋ねる。
「愛ってなんでしょうか」
と。
永沢は渡辺に初めの頃に言った定義を、お前も知っているのだろうと、何故それを今更聞くと言わんばかりに、さも当然のことのように恋愛工学に基づいた論理的にかつ的確な解答を渡辺に告げる。
そして恋愛工学を身につけ、全てを経験した渡辺はそれを否定するのだ。その悟りは恋愛工学という論理的恋愛解釈を真っ向から否定するものであった。恋愛工学で言う所の「非モテコミット」と呼ばれ忌み嫌われる存在、物語の序盤のもてなくてもてなくてどうしようもない渡辺的な存在に、戻るということであった。
タイトルの答えは出ている。それは序盤と最終章で永沢が渡辺に説明したものだ。この本は最後の最後に蛇足が生えてしまった。
故に私が思う
この本を読まないほうが良い、または読まなくても良いと思われる人間は以下の通りである。
❶AFC(平均的欲求不満男子:非モテコミットしている一般男子全般)
❷まだ一度も成功したことない、または現在試行錯誤段階のナンパ師
❸ルーティンが全てのナンパ師、または恋愛工学の履修生
❹自立した人間になりたいと願う男子全般
❶と❷はこの本を読まずに、または途中まで読んでから恋愛工学を購読すると良いだろう。途中まで読んでも良いとしたのは中盤の「ワタナベ君のショータイム」が必見だからだ。男なら誰でも燃え上がる展開に、あなたは自分の事のように渡辺の成長を嬉しく思うだろう。そして渡辺の朝チュンをこの本で聴いたのなら、あなたはそのまま本を閉じ、散々買い集めたあなたの自慰用ビデオ、同人誌、フィギュア、ポスター等とこの本を充分に入れる事のできる大きさに合わせたタイムカプセルに入れて、それを土に植えること。シャワーを浴び埃汗を流して清潔感のある格好をしたら、そのまま近所の本屋さんにおもむこう。立ち読みしている女の子を見つけたら近寄り「その本っ…」と声をかけ、振り向いたら会話をしていけば良い。そのあとの会話は何を話せば良いかわからない!そうなったのなら、恋愛工学を購読するといいだろう。回答がしっかり論理的に書いてあるだろうからしっかり読んで再チャレンジすると良い。そうしてナンパを続けていき、いつの日かくるであろう「あなたのショータイム」を堪能し結果を充分に出したと感じ、著者の藤沢さんに「ありがとう!」とファンになってしまったら、タイムカプセルを掘り起こし、この本を最後まで読むと良いだろう。あなたはきっと涙する。
❸はこの本を読む事であなたは今進んでいるこの道に悩んでしまう事になる。自分は間違っていたのか?こんな結末を迎えるのなら意味がないのではないか?と。この本は「論理的な恋愛は最後の最後に非モテコミットを導いてしまう」可能性を示唆しており、その、あなたが哀れに感じるであろう結末までしっかりと最後まで教えてしまう。内容は中途半端な本なのに結果と答えだけは明瞭に書き記されているためだ。あなたはこの本を読み心の奥底で絶望してしまうかもしれない。またはその結末を見て見ぬ振りをするかもしれない。それが芽生えた時点であなたは恋愛工学徒ではなくなる。あなたが信じて進んできた道を破門することとなる。あなたの道は決して間違ってはいないのだ。その道を真っ直ぐ志すと決めたのならこんなあなたを悩ませてしまう本は決してけっして読まずにどうかあなたが死ぬまでずっと走り続けて欲しい。
逆にこの本を読んでもいい、または読んだほうが良いと思われる人間は以下の通りである。
①一般女性全般
②ある程度ナンパを行って来て得るものは得たと満足した現在を送っているナンパ師。
③恋愛工学を卒業したいと思っている恋愛工学徒
④依存した人間になりたいと願う男子全般
①は恋愛工学プレーヤーへのメタを貼る意味で読むといいだろう。あなたはこの本を読み心底男という生き物は気持ちが悪い受け入れがたい存在と知るだろう。だが大丈夫だ。ちょっとこの本に出てくる事をあなたの目の前にいる男がしてきたら「《恋愛高額》って知ってる?最近うちらの間で流行ってるんだー」といえば良い。恋愛工学ではない、恋愛高額だ。あなたはなにも間違ったことを言ってはいない。そうして別に嘘を言っているわけでもないあなたの目の前の彼の態度が変化したのならすかさず「どうしたの?なんか今の君の顔かわいいね」とでも言い、「私◯◯君のそういう所素敵だよ」とでも言って直ぐさまタクシーで帰ろう。これであなたは恋愛工学プレイヤーにも立ち向かえるキラキラ女子の仲間入りだ。
②③はこの本を読む事であなたは新しいステージに進む事ができる。本当は自らの意思で気づき進めべきであるのだが、気づきを深め明瞭なものにする為に読んでみてもいいかもしれない。確かにテクニカル本として、恋愛小説としては中途半端な作品ではある。だがそれはそんなあなたの為に書かれた本だからだ。あなたはあなたが今まで歩んできた恋愛をこの本の渡辺に照らし合わせて読むことができる。「このルーティン、あの人が始めたやつじゃん」「そういえばこのテクニック、知らぬうちに使っていたな。こういう意味だったのか」と笑みや喜びをこぼしたり、「ああ、そういえば自分はあんなことがあったな…」だとか「ああ自分はそのことに悩んでいたのか…」だとか空虚な気持ちになったり。色々と気がつくことがあると思う。気がつく事であなたは変わるだろう。繰り返しになるが、本を使わずに気がつくことがベストなのだが。
❹④は微妙なラインである。④はぱっと見しょうもない人間に見えてしまうが決して悪いことではない。依存を求めている人間とは自分ではとくことのできない問題を前に挫折してしまった人間のことだ。人生行き止まりを感じてその場でうずくまっているくらいならこの本に沿って生きていくといい。依存のしすぎが悪いだけでちょっと手を借りたい程度なら大丈夫だ。❹も、自立しすぎて自己を引っ張りすぎて、もしかしたらあなたは勘違いを起こしているかもしれない。この本を読めばあなたの恋愛における勘違いは拭い去る事だろう。だが❶❷同様に全部読んではいけない。立ち読みでも良いくらいの量を読んで本を閉じることだ。自己の継続的な主張で傲慢になるのを防いでくれる。
以上である。
何はともあれ、この本の購入は私はオススメしない。ただ、人によってはむしろ読んだ方が良かったりするから、「最近話題の恋愛工学ってなんだろう…?でもぼろかすに言ってる人もいて評価に分かれてるな…買わない方がいいのかな…」とでも思っているのなら今すぐポチってしまうべきだ。そうしてこの本の書籍としての中途半端さをとくと味わい、いい意味でも悪い意味でも提示尽くされてしまった解を見てやっぱクソだったと感想を抱くだけでも購入する価値がある。
購入を勧めるが、最後まで読むことは許されない、そんな新しい恋愛小説だと思えばいいと思う。くそだからといって捨てたり売ったりするのはよくありません。あくまでもタイムカプセルにしまうのです。あなたの思いとともに。そこが大切です。
以上です。
私の拙文を最後までご覧いただき感謝申し上げます。
なかなか釣り精度が高いとおもっている。読んだはもらえなそうだ長いから。
読んだほうがいい判定の人はこちらの本もオススメ。テーマはぼく愛の対局。「感情」のハウツー本である。多くの人がノーと言っているがこれはハウツー本である。論理と感情の中途半端さをうまく活かせた本だ。ただし本書には要所要所に催眠術式が組み込まれているから注意。私の様な駄文長文を書く人間になってしまうぞ。