逃避行動とその先
- 2015/08/22
- 04:37
私の人生は逃げ続けたものであった。
始まりはきっと、中学時代から。そして今でも続いているものだ。
高校受験を妥協し、そこそこ安全に入れる高校に入学。
そして大学受験も妥協し、幼き頃からの夢を断念。
国立を断念し、比較的安全な私立大学に入学。
そんな学生生活をのうのうと生き、気がついたら卒業時期。ただただ時間を浪費しただけの義務教育期間と学生期間。時間と周りの環境に流され続ける事がこの逃避行動の本質であるという認識であった。受験の時期になったから受験勉強を始める。周りが進学するから私も進学する。そして時間と環境に流されるまま逃げ続ける事が私の本質であり、人生なんだと齢20にして気が付いた物だったのだろう。だからきっと、この後の私も流され逃げ続けるにちがいない。
しかし私はこの、逃避行動には限界があるのだと知る。
否、逃避行動の本質は時間と周りの環境に流され続ける事でないという事を知る事になった。
就活はとある採用試験があるからといい、リクルートスーツなんぞ揃えることすらしなかった。そしてその就活をしないことの言い訳にしてきた採用試験の勉強もロクにせず不合格。大学の卒業式の後、唯一私の手元に残った物は大学卒業の学歴を証明する大袈裟に豪華な作りの表彰状とペラペラと湾曲する2種の資格の厚紙のみ。
実家に戻ることになった。そこから2年プータローに私はなってしまった。
いや、文字通りのプータローではない。手元に唯一残ったこの資格を用いた仕事を週に4度程、一回2hの仕事を行っていた。一ヶ月の実労働時間は32h。わずかに稼いだその金で遊びなりネットの使用料金なりを支払っていた。もちろん住まわせてもらっている実家への振り込みなんてない。時間が経つにつれ32hの労働時間も面倒に感じてくるようになってきた。今では一ヶ月の実労働時間は10〜20h程になてしまった。ネットの使用料金も遊びの金もそれで回せるようになる事を知ったからであろう。
プータローではないとはいうが、私という存在そのものはプータローのそれとさほど変わらないのだろう。
私は社会人になれなかった。
それはなぜだろう。
私は真っ当な大人になる事を拒んだ。
それはなんでだろう。
時間と周りの環境に流され続ける事が逃避の本質ならば私は今頃何処かの会社に勤めているだろう。社会の畜生、謂わば社畜になっていたろう。そうなる事がきっと時間と周りの環境に流される事なのだと思う。
今私はそうではない。
細々と趣味の延長の軽い仕事をこなし、辛うじて生きていくだけの金を稼いでいると言いながら実家に寄生、家にいる時間が実家の誰よりも長いから洗濯物処理などの主夫的なことをほんの少しだけ行っている。やらない時の方が多いのだが。営業は気が向いたときにしながら、しかしどうも人数を増やす気になれず、現在保有する魔法少女と繰り返し契約を結ぶ。そして男優として生きていくにはどうすればいいか、とりあえず食事をそれなりに考えつつスクワットを毎日食後にシャワーを浴びながら心臓に負担をかけるように行う日々。営業で使えるのではないかと、最近マジックを覚える事を始めた。
まともにこなしていると関する部分を出来る限りまともに生きているように綴っては見た。けれどダメのようだ。これらの事実は決して真っ当な大人である事を示す事実と反する物だ。
私はきっと、あの大学の卒業とともに、時間と周りの環境に流される事から逃げたのだろう。そしてそれは私という生命体の自己主張の一つだったのかもしれない。私は周りとは違う、私は私でありたいだなんていう下らない自己顕示欲であったのかもしれない。
逃避を続けるといつかぶつかる場所がある。深海も潜り続ければ必ず底に行きつくように、人間の逃避行動には限界がある。私の大学卒業とは、逃避行動の限界点だったのだろう。
ある中学生の男の子の家庭教師をしている時期があった。彼の住む家には両親がいない。彼はその家庭の複雑な事情によって、その家庭の保護者が言うにはワガママで頭がオカシくなってしまったという。私の授業からは度々逃げ出していた。宿題ももちろんやっていない。今日は気が乗らないから時間短くして、だとか、ヤダヤダヤダヤダと逃避の一点張りだったりだとか、保護者に無断で何処かに遊びに行ってしまって帰ってこないということもあった。宿題を一切やってこない日は私がいなかった数日がひじょーに忙しかったとまず、必死な長ったらしい言い訳から入る。滑稽なことに私は、私がその子の逃避行動のその現場にいるときは、その子をこっぴどく叱った。失礼だとか無礼だとかを抑えられず感情的になってしまったから、というのもあると思う。
やらなきゃならないことはやらなきゃいけない。とにかくやれ。やらなければならない。2時間だけは集中しろ。私が生徒だったらこんな理不尽、間違いなく罵声を浴びせまくり、挙句拳を振るうかもしれない。面白いことに、その子は私がやるであろうことと同じことをしてきた。私がそのように追い込むと多くの罵声を浴びせてきた。私はその言葉を受け流すときもあったし、烈火して怒鳴り散らすようにその罵声の何倍の量の説教を浴びせたこともあった。保護者の方曰く、彼は何か自分にとって不利益なことがあるとすぐに暴れ回り出すのだという。そんな彼の暴力は、(恐らくしてはいけない事だと分かっていただろう)体の不自由な保護者にあたったりはせずに、家の中にある物に当たることだった。色々なものが壊れた。ものを投げつけ壁に直撃した音、何かが割れる音、私と保護者に激らす烈火して燃ゆる意志で出来た怒鳴り声。まるで逃避すべく現実に威嚇を放っているかのように彼の鬱憤と破壊音が部屋に響き渡る。その子が暴力を起こすたびに私は力尽くでその子を止めた。テレビや窓ガラスが割れたり、勢い余って保護者の方や彼自身が一大事になってしまってはそれこそ一大事である。だから体を張って無理やり彼を止めてさせて頂いていた。保護者の方は私を止めなかった。殴る蹴るなんてできない、しかしオトナゲなんていう言葉もなかった。なんとなく漫画で覚えていた暴れる程きつく絞まる固め技でいつも彼を止めていた。彼曰く彼は中々の腕っ節らしいが、そんな腕っ節なぞ抑え込むこと自体は造作もなかった。彼は自己主張をするかのごとく暴れ激しさは増していくが、それも次第に止まっていく。しかし、彼の言葉を上から言葉でねじ伏せたところで、彼の動きを止めたところで、彼の中の逃避行動の根源たるエネルギーは際限なく増大していっていることを私は感じていた。これではないんだ、とまさに身をもって感じた。同時に逃避行動をなくすなんてことはできないんじゃないかと頭を悩ますこととなった。
暴れる彼の動きを押さえ込んでいる時、彼はいつも私にいう。「今僕があなたを警察に通報したらあなた間違いなく終わりますよ!クビですよ!それでもいいんですか!」抑えているだけにしろ、彼と保護者が私を暴力だ、と言えば私は間違いなく終わるだろう。本来教師は生徒に触れることすら許されることではない。だが私は別にそれでおわったとしても構わないと思っていた。彼が社会的に正しいことを知ることができるのなら、私は私の首がどうなろうが問題ではない、本気でそう思っていたから私は彼の逃避行動に真っ向から対応していたのかもしれない。しかし彼の保護者の方はただただ悲しい顔で彼が私に止められているのを見ていて、彼は一度も警察を呼ぶことはなかった。次来る日までには彼もしっかり宿題もこなしており、授業にも付いてきていた。怒りのエネルギーはすっかり無くなっていた。私と彼の関係はキョウイクをする者される者の関係というよりは兄弟のそれのようなものだったのだろう。
そんな彼の家庭教師のある日、彼はまたいつものように逃避行動に入った。当然の如く宿題をやっておらず詫びの雰囲気もない。このような状況になると私はいつも長々しい説教モードになる。彼は察知しただろう。私が罵声を振るわれるかもしれない、不審な動きをしたら止められるかもしれない。言いくるめたのち、若しくはまた長ったらしい説法を聞かせるかもしれないだろうということを。彼の心の中で逃避行動の準備が出来上がったのだろうなという雰囲気が私は感じ取れた。しかし何故だろう、逃避行動というそれは、社会としてクソな存在でしかない筈なのに、逃避行動をいざしようと準備を満タンにしているその彼の雰囲気は、まるでキラキラと生き生きとした物に見えたのだ。目の前のヒゲツラのこいつが何々を言ったらこう言おうだとか、何々に行動を移したらこう言って脅してやろうだとか、こうしてやろうだとか。そんなルーティンが彼の頭の中でぐるぐる回っていて、今にでもそれを行いたいのだなぁというのがヒシヒシと揚々と伝わってきて、ヒゲツラのこいつが、何をどういようと僕は決して動じてやるもんか、という逃避の強い闘士の意志が感じ取れる。この時の彼はまだ気が付いていないのかもしれない。その不動心こそが彼の今の存在証明なのではないかということを。
だから私はこのとき、彼が今、私という存在から逃避行動を行う為だけに生きているのではないか、という仮説がふと浮かんだのだった。だったらこうするべきだと、その仮説を立証する為にか必然的にか。私は口を軽く閉ざし、ただただ彼の両目を何も言わずに見つめ続けるという事を行うことを選んだ。どんな罵声が来ても、やるよ、やればいいんでしょと言っても、どんな暴力が来ても(適度な受け身と流しをしながら)、私の視界から逃れようとしても、彼の目の前に座り、または立ちながら彼を黙って目を見続ける事をした。三時間私は一切喋らず彼の目を見続けた。
私は彼を黙り見続けることで二つの現象を彼に与えることになった。一つ目は、彼の逃避している理由を奪うこと。質問しても暴言をしても無言。暴言で返すからまた暴言を吐きたくなる。二つ目は逃げられない現象を与えること。彼が逃げようが暴言をはこうが拳を振おうとしようが目を伏せようがずっとやってくる。何分経っても何時間経ってもその現象が収まることはない。
逃避の理由がなくなると人間はどうなるのだろう。また別の逃避を始めるのだ。彼は10分ほど一方的な会話を私にしたのち、別の形の逃避行動に入った。自主勉強をし始めたのだ。これは無音の目線という真新しい現象からの正当な逃避行動ともいえる。だがそれも30分と持たず、私に対しての言葉の投げ掛けをまた行い始めた。
逃避行動を行い続けると人間はどうなるだろう。無音の目線という現象は、私の執念にも似た一時の忍耐力もあってか、逃げたところで絶対に解決しやしなかった。逃げても逃げても、その逃げたくて逃げたくて逃げたくてしょうがない現象がすぐ目の前に現れ、またも逃げても逃げても逃げても逃げても何度も何度も何度も何度も目の前に現れる。消えろといっても消えない。なんか喋れといっても喋らない。彼は逃避行動や暴力行動、弁解発言、和解発言、そして逃避行動を繰り返していきながら、3時間後、うずくまってしまっていた。何もせず、何もできず、まるで息をしているだけのしかばねのような状態になってしまっていた。
私はその姿を無言で写真に撮る。
「ネットにでも流すんですか、やめてください!」
そのシャッター音に彼は蘇ったかのように起き上がり慌てて声を発する。だが私はまだ声を出さず、彼の目を見た。彼に私はどう映っていたのだろう。すぐに彼は彼に巣食う何者かに己の息の根をキュッと縛り上げられてしまったかのように、またうずくまってしまった。
私はそれを見てから。
「そんなわけねーよ」
と小声で言った。聞こえただろう、その声に合わせてリアクションを彼が取ろうとした時だった。タイミングよくお世話になっている地域パトロールの叔父さんが到着した。この叔父さんは彼が危険行為を起こした時に駆けつけてくれていた人であり、この家庭の理解者であり、私も大変お世話になった方である。私や保護者の方が急遽連絡をとったのではない。彼が私への逃避行動を起こしている時に彼自身がヤケになって連絡をしたのだ。
叔父さんが来てからも私は声を発しず、筆談で私の意図を伝えた。叔父さんはすぐに理解を示してくれ、後は私に任せなさい、と私を帰宅させてくれた。
後日、次の彼の家庭教師の日、私は彼を地域の喫茶店へ連れ出した。国語数学英語の授業はしなかった。彼はなにも言わず私についてきた。タバコの煙が巻くアンティーク調の空間。ここって子供が入っていいの?とようやっと彼は私に疑問を投げかける。問題ねーよ。時間外のゲーセンじゃねーんだから。と私は言い、彼にコーヒーをおごった。
そして私はあの時撮った写真を彼に見せながら、彼に伝えた。「この姿を一生忘れるんじゃない。逃げてはならない事から逃げ続けるとお前は最終的にこうなるんだ。死んだような姿だろ。かっこわりーだろ」まるで、タイムスリップをして逃げる事が今までの人生だったと悟る私に言い聞かせるようだった。写真は彼の目の前で消していった。
「逃げる事はきっと悪い事じゃない。逃げてた時のお前は多分気がついてないだろうけれど、俺から見たら生き生きとしていたから。お前が逃げなきゃってその脳味噌でそう判断したんだから、逃げること自体は悪いことじゃないんだよ。だけれど、逃げには限界がある。その限界がくると、お前はこのかっこわりー写真みたいになる。遅かれ早かれいつか必ず、今まで逃げてきた嫌な事からこれ以上逃げられなくなる時がくる。乗り越えなきゃいけない時が来る。その時に自分がどの様に行動を起こせるかが大切なんだよ」
教師だから正しい事を言わなければならなかった。また、年相応の言葉で伝えなければならなかった。私が逃げの人間だからそれを伝えてはいけないだなんていう未だによくわからない立場論はこの時は思考に片鱗にすらなかった。だから私は自信を持って彼にその事を伝えた。彼はただただ頷いていた。私の言葉をどう受け取ってくれたかはわからない。ありがとう、と彼はいい、彼は冷めたブラックのアメリカンコーヒーを一気飲みしながら言った。
「アメリカンとブレンドってどう違うの?」
「しらん 自分で調べろ」
思えば、喫茶店での彼との会話が彼の家庭教師の最後の時間だった。彼は私と別れる時、一切振り向かず大きな声で「またね!」と言っていたのがいつまでも記憶に残っている。彼は強く優しい大人になったのだろう。勉強のほうはきいていないが、私と別れたのち、彼女が出来たらしいから。
逃避とはフラストレーションの一つと行動心理学では示されている。この逃避とは自己の存在の主張の一つであると私は考える。時間と環境に流されることもそれは逃避の一つ。だが、それは逃避の本質ではない。時間と環境に流されている逃避とは、自己の存在が時間と環境に顕著に依存したものだからである。周りと一緒であることがその人の自己の絶対的な存在なのだろう。他者依存をやめた時、または時間や環境の変化ともにできなくなった時、ようやく逃避の本質が垣間見える。それは私の大学卒業後のそれと同じ様に。それは家庭教師先の彼のどうすることのできない目線を受け続ける無音の環境の様に。
逃避をするその裏側にある原動力は自己の強い存在がある。家庭教師先の彼は自己の中身が時間と環境に依存されたものではなかった。強い自己がもうこの頃には珍しく形成されていた。
時間や周りの環境によって起こるある一つの現象。その現象が自己にとって嫌悪するものである場合、私達は逃避行動をする。この嫌悪とはこの現象を受けいれることで自己が変化してしまう可能性があるから起こる感情だ。自己を変えないため、恒常性を維持するために、私達は逃避行動を行う。嫌悪感が強いものほど、その現象への逃避行為が自己証明の一つとなりうる。だから逃避を幾たびと行うたびに自己の存在をより一層強く硬くしていくことが出来る。
そんな逃避行動には限界があった。寿命だろうか。逃避人間の寿命は短く、重さなんて存在しないかのように空っぽで、薄っぺらい虚構の人生だ。悲しい事に本人はそれに気がつけない。もしかしたらそれに気が付きたくないだけなのかも知れないが。
その逃避人間の寿命が尽きた時、その人間は目の前の現象に立ち向かわねばならなくなるだろう。逃げない強い人間となるだろう。でもまた逃避人間がその人間の中に芽生えるかもしれない。また逃避人間に戻ってしまうかもしれない。それでも、一度逃避の自分を死なせ、立ち向かったという事実はその人間の脳内に確実に残る。まだその現象に立ち向かうだけの知識や技量、経験がなかっただけかもしれない。その現象を完全に受け入れることのできる人間ではなかったのかもしれない。その現象に立ち向かうということはその現象に対して己が足りていないモノを無慈悲に現実的に突きつけてくる凶器であるかもしれない。実は逃げずにやりきることは、やってみれば以外と簡単なことで、今までの逃避行動は一体何だったのだろうと知る事になり、なんとも言えない空っぽな気持ちになるのかもしれない。
逃避人生。そんな人生を歩んできた人間は一度、逃げるだけ逃げ続けるべきだと私は思う。逃避を逃避してはいけない。徹底的に逃避すべきだ。客観的に見ればその行為は無駄なモノでしかないだろう。その無駄なモノに無駄に時間をかけて無駄に感情を費やして悩み苦しんでみるといいだろう。逃避とは無駄な物だが、逃避の限界に達し、立ち向かうための新たな一歩踏み出すことさえできれば、無駄だった物が価値のある物を生み出すきっかけとなる聖遺物に変化する。
もう逃げられない、そんな自己内省の中で最も深い場所に来れば、生きている人間は何かしらの活力を見出せる。きっと、その活力こそが逃避行動のその先にある、何かなのだろう。
始まりはきっと、中学時代から。そして今でも続いているものだ。
高校受験を妥協し、そこそこ安全に入れる高校に入学。
そして大学受験も妥協し、幼き頃からの夢を断念。
国立を断念し、比較的安全な私立大学に入学。
そんな学生生活をのうのうと生き、気がついたら卒業時期。ただただ時間を浪費しただけの義務教育期間と学生期間。時間と周りの環境に流され続ける事がこの逃避行動の本質であるという認識であった。受験の時期になったから受験勉強を始める。周りが進学するから私も進学する。そして時間と環境に流されるまま逃げ続ける事が私の本質であり、人生なんだと齢20にして気が付いた物だったのだろう。だからきっと、この後の私も流され逃げ続けるにちがいない。
しかし私はこの、逃避行動には限界があるのだと知る。
否、逃避行動の本質は時間と周りの環境に流され続ける事でないという事を知る事になった。
就活はとある採用試験があるからといい、リクルートスーツなんぞ揃えることすらしなかった。そしてその就活をしないことの言い訳にしてきた採用試験の勉強もロクにせず不合格。大学の卒業式の後、唯一私の手元に残った物は大学卒業の学歴を証明する大袈裟に豪華な作りの表彰状とペラペラと湾曲する2種の資格の厚紙のみ。
実家に戻ることになった。そこから2年プータローに私はなってしまった。
いや、文字通りのプータローではない。手元に唯一残ったこの資格を用いた仕事を週に4度程、一回2hの仕事を行っていた。一ヶ月の実労働時間は32h。わずかに稼いだその金で遊びなりネットの使用料金なりを支払っていた。もちろん住まわせてもらっている実家への振り込みなんてない。時間が経つにつれ32hの労働時間も面倒に感じてくるようになってきた。今では一ヶ月の実労働時間は10〜20h程になてしまった。ネットの使用料金も遊びの金もそれで回せるようになる事を知ったからであろう。
プータローではないとはいうが、私という存在そのものはプータローのそれとさほど変わらないのだろう。
私は社会人になれなかった。
それはなぜだろう。
私は真っ当な大人になる事を拒んだ。
それはなんでだろう。
時間と周りの環境に流され続ける事が逃避の本質ならば私は今頃何処かの会社に勤めているだろう。社会の畜生、謂わば社畜になっていたろう。そうなる事がきっと時間と周りの環境に流される事なのだと思う。
今私はそうではない。
細々と趣味の延長の軽い仕事をこなし、辛うじて生きていくだけの金を稼いでいると言いながら実家に寄生、家にいる時間が実家の誰よりも長いから洗濯物処理などの主夫的なことをほんの少しだけ行っている。やらない時の方が多いのだが。営業は気が向いたときにしながら、しかしどうも人数を増やす気になれず、現在保有する魔法少女と繰り返し契約を結ぶ。そして男優として生きていくにはどうすればいいか、とりあえず食事をそれなりに考えつつスクワットを毎日食後にシャワーを浴びながら心臓に負担をかけるように行う日々。営業で使えるのではないかと、最近マジックを覚える事を始めた。
まともにこなしていると関する部分を出来る限りまともに生きているように綴っては見た。けれどダメのようだ。これらの事実は決して真っ当な大人である事を示す事実と反する物だ。
私はきっと、あの大学の卒業とともに、時間と周りの環境に流される事から逃げたのだろう。そしてそれは私という生命体の自己主張の一つだったのかもしれない。私は周りとは違う、私は私でありたいだなんていう下らない自己顕示欲であったのかもしれない。
逃避を続けるといつかぶつかる場所がある。深海も潜り続ければ必ず底に行きつくように、人間の逃避行動には限界がある。私の大学卒業とは、逃避行動の限界点だったのだろう。
ある中学生の男の子の家庭教師をしている時期があった。彼の住む家には両親がいない。彼はその家庭の複雑な事情によって、その家庭の保護者が言うにはワガママで頭がオカシくなってしまったという。私の授業からは度々逃げ出していた。宿題ももちろんやっていない。今日は気が乗らないから時間短くして、だとか、ヤダヤダヤダヤダと逃避の一点張りだったりだとか、保護者に無断で何処かに遊びに行ってしまって帰ってこないということもあった。宿題を一切やってこない日は私がいなかった数日がひじょーに忙しかったとまず、必死な長ったらしい言い訳から入る。滑稽なことに私は、私がその子の逃避行動のその現場にいるときは、その子をこっぴどく叱った。失礼だとか無礼だとかを抑えられず感情的になってしまったから、というのもあると思う。
やらなきゃならないことはやらなきゃいけない。とにかくやれ。やらなければならない。2時間だけは集中しろ。私が生徒だったらこんな理不尽、間違いなく罵声を浴びせまくり、挙句拳を振るうかもしれない。面白いことに、その子は私がやるであろうことと同じことをしてきた。私がそのように追い込むと多くの罵声を浴びせてきた。私はその言葉を受け流すときもあったし、烈火して怒鳴り散らすようにその罵声の何倍の量の説教を浴びせたこともあった。保護者の方曰く、彼は何か自分にとって不利益なことがあるとすぐに暴れ回り出すのだという。そんな彼の暴力は、(恐らくしてはいけない事だと分かっていただろう)体の不自由な保護者にあたったりはせずに、家の中にある物に当たることだった。色々なものが壊れた。ものを投げつけ壁に直撃した音、何かが割れる音、私と保護者に激らす烈火して燃ゆる意志で出来た怒鳴り声。まるで逃避すべく現実に威嚇を放っているかのように彼の鬱憤と破壊音が部屋に響き渡る。その子が暴力を起こすたびに私は力尽くでその子を止めた。テレビや窓ガラスが割れたり、勢い余って保護者の方や彼自身が一大事になってしまってはそれこそ一大事である。だから体を張って無理やり彼を止めてさせて頂いていた。保護者の方は私を止めなかった。殴る蹴るなんてできない、しかしオトナゲなんていう言葉もなかった。なんとなく漫画で覚えていた暴れる程きつく絞まる固め技でいつも彼を止めていた。彼曰く彼は中々の腕っ節らしいが、そんな腕っ節なぞ抑え込むこと自体は造作もなかった。彼は自己主張をするかのごとく暴れ激しさは増していくが、それも次第に止まっていく。しかし、彼の言葉を上から言葉でねじ伏せたところで、彼の動きを止めたところで、彼の中の逃避行動の根源たるエネルギーは際限なく増大していっていることを私は感じていた。これではないんだ、とまさに身をもって感じた。同時に逃避行動をなくすなんてことはできないんじゃないかと頭を悩ますこととなった。
暴れる彼の動きを押さえ込んでいる時、彼はいつも私にいう。「今僕があなたを警察に通報したらあなた間違いなく終わりますよ!クビですよ!それでもいいんですか!」抑えているだけにしろ、彼と保護者が私を暴力だ、と言えば私は間違いなく終わるだろう。本来教師は生徒に触れることすら許されることではない。だが私は別にそれでおわったとしても構わないと思っていた。彼が社会的に正しいことを知ることができるのなら、私は私の首がどうなろうが問題ではない、本気でそう思っていたから私は彼の逃避行動に真っ向から対応していたのかもしれない。しかし彼の保護者の方はただただ悲しい顔で彼が私に止められているのを見ていて、彼は一度も警察を呼ぶことはなかった。次来る日までには彼もしっかり宿題もこなしており、授業にも付いてきていた。怒りのエネルギーはすっかり無くなっていた。私と彼の関係はキョウイクをする者される者の関係というよりは兄弟のそれのようなものだったのだろう。
そんな彼の家庭教師のある日、彼はまたいつものように逃避行動に入った。当然の如く宿題をやっておらず詫びの雰囲気もない。このような状況になると私はいつも長々しい説教モードになる。彼は察知しただろう。私が罵声を振るわれるかもしれない、不審な動きをしたら止められるかもしれない。言いくるめたのち、若しくはまた長ったらしい説法を聞かせるかもしれないだろうということを。彼の心の中で逃避行動の準備が出来上がったのだろうなという雰囲気が私は感じ取れた。しかし何故だろう、逃避行動というそれは、社会としてクソな存在でしかない筈なのに、逃避行動をいざしようと準備を満タンにしているその彼の雰囲気は、まるでキラキラと生き生きとした物に見えたのだ。目の前のヒゲツラのこいつが何々を言ったらこう言おうだとか、何々に行動を移したらこう言って脅してやろうだとか、こうしてやろうだとか。そんなルーティンが彼の頭の中でぐるぐる回っていて、今にでもそれを行いたいのだなぁというのがヒシヒシと揚々と伝わってきて、ヒゲツラのこいつが、何をどういようと僕は決して動じてやるもんか、という逃避の強い闘士の意志が感じ取れる。この時の彼はまだ気が付いていないのかもしれない。その不動心こそが彼の今の存在証明なのではないかということを。
だから私はこのとき、彼が今、私という存在から逃避行動を行う為だけに生きているのではないか、という仮説がふと浮かんだのだった。だったらこうするべきだと、その仮説を立証する為にか必然的にか。私は口を軽く閉ざし、ただただ彼の両目を何も言わずに見つめ続けるという事を行うことを選んだ。どんな罵声が来ても、やるよ、やればいいんでしょと言っても、どんな暴力が来ても(適度な受け身と流しをしながら)、私の視界から逃れようとしても、彼の目の前に座り、または立ちながら彼を黙って目を見続ける事をした。三時間私は一切喋らず彼の目を見続けた。
私は彼を黙り見続けることで二つの現象を彼に与えることになった。一つ目は、彼の逃避している理由を奪うこと。質問しても暴言をしても無言。暴言で返すからまた暴言を吐きたくなる。二つ目は逃げられない現象を与えること。彼が逃げようが暴言をはこうが拳を振おうとしようが目を伏せようがずっとやってくる。何分経っても何時間経ってもその現象が収まることはない。
逃避の理由がなくなると人間はどうなるのだろう。また別の逃避を始めるのだ。彼は10分ほど一方的な会話を私にしたのち、別の形の逃避行動に入った。自主勉強をし始めたのだ。これは無音の目線という真新しい現象からの正当な逃避行動ともいえる。だがそれも30分と持たず、私に対しての言葉の投げ掛けをまた行い始めた。
逃避行動を行い続けると人間はどうなるだろう。無音の目線という現象は、私の執念にも似た一時の忍耐力もあってか、逃げたところで絶対に解決しやしなかった。逃げても逃げても、その逃げたくて逃げたくて逃げたくてしょうがない現象がすぐ目の前に現れ、またも逃げても逃げても逃げても逃げても何度も何度も何度も何度も目の前に現れる。消えろといっても消えない。なんか喋れといっても喋らない。彼は逃避行動や暴力行動、弁解発言、和解発言、そして逃避行動を繰り返していきながら、3時間後、うずくまってしまっていた。何もせず、何もできず、まるで息をしているだけのしかばねのような状態になってしまっていた。
私はその姿を無言で写真に撮る。
「ネットにでも流すんですか、やめてください!」
そのシャッター音に彼は蘇ったかのように起き上がり慌てて声を発する。だが私はまだ声を出さず、彼の目を見た。彼に私はどう映っていたのだろう。すぐに彼は彼に巣食う何者かに己の息の根をキュッと縛り上げられてしまったかのように、またうずくまってしまった。
私はそれを見てから。
「そんなわけねーよ」
と小声で言った。聞こえただろう、その声に合わせてリアクションを彼が取ろうとした時だった。タイミングよくお世話になっている地域パトロールの叔父さんが到着した。この叔父さんは彼が危険行為を起こした時に駆けつけてくれていた人であり、この家庭の理解者であり、私も大変お世話になった方である。私や保護者の方が急遽連絡をとったのではない。彼が私への逃避行動を起こしている時に彼自身がヤケになって連絡をしたのだ。
叔父さんが来てからも私は声を発しず、筆談で私の意図を伝えた。叔父さんはすぐに理解を示してくれ、後は私に任せなさい、と私を帰宅させてくれた。
後日、次の彼の家庭教師の日、私は彼を地域の喫茶店へ連れ出した。国語数学英語の授業はしなかった。彼はなにも言わず私についてきた。タバコの煙が巻くアンティーク調の空間。ここって子供が入っていいの?とようやっと彼は私に疑問を投げかける。問題ねーよ。時間外のゲーセンじゃねーんだから。と私は言い、彼にコーヒーをおごった。
そして私はあの時撮った写真を彼に見せながら、彼に伝えた。「この姿を一生忘れるんじゃない。逃げてはならない事から逃げ続けるとお前は最終的にこうなるんだ。死んだような姿だろ。かっこわりーだろ」まるで、タイムスリップをして逃げる事が今までの人生だったと悟る私に言い聞かせるようだった。写真は彼の目の前で消していった。
「逃げる事はきっと悪い事じゃない。逃げてた時のお前は多分気がついてないだろうけれど、俺から見たら生き生きとしていたから。お前が逃げなきゃってその脳味噌でそう判断したんだから、逃げること自体は悪いことじゃないんだよ。だけれど、逃げには限界がある。その限界がくると、お前はこのかっこわりー写真みたいになる。遅かれ早かれいつか必ず、今まで逃げてきた嫌な事からこれ以上逃げられなくなる時がくる。乗り越えなきゃいけない時が来る。その時に自分がどの様に行動を起こせるかが大切なんだよ」
教師だから正しい事を言わなければならなかった。また、年相応の言葉で伝えなければならなかった。私が逃げの人間だからそれを伝えてはいけないだなんていう未だによくわからない立場論はこの時は思考に片鱗にすらなかった。だから私は自信を持って彼にその事を伝えた。彼はただただ頷いていた。私の言葉をどう受け取ってくれたかはわからない。ありがとう、と彼はいい、彼は冷めたブラックのアメリカンコーヒーを一気飲みしながら言った。
「アメリカンとブレンドってどう違うの?」
「しらん 自分で調べろ」
思えば、喫茶店での彼との会話が彼の家庭教師の最後の時間だった。彼は私と別れる時、一切振り向かず大きな声で「またね!」と言っていたのがいつまでも記憶に残っている。彼は強く優しい大人になったのだろう。勉強のほうはきいていないが、私と別れたのち、彼女が出来たらしいから。
逃避とはフラストレーションの一つと行動心理学では示されている。この逃避とは自己の存在の主張の一つであると私は考える。時間と環境に流されることもそれは逃避の一つ。だが、それは逃避の本質ではない。時間と環境に流されている逃避とは、自己の存在が時間と環境に顕著に依存したものだからである。周りと一緒であることがその人の自己の絶対的な存在なのだろう。他者依存をやめた時、または時間や環境の変化ともにできなくなった時、ようやく逃避の本質が垣間見える。それは私の大学卒業後のそれと同じ様に。それは家庭教師先の彼のどうすることのできない目線を受け続ける無音の環境の様に。
逃避をするその裏側にある原動力は自己の強い存在がある。家庭教師先の彼は自己の中身が時間と環境に依存されたものではなかった。強い自己がもうこの頃には珍しく形成されていた。
時間や周りの環境によって起こるある一つの現象。その現象が自己にとって嫌悪するものである場合、私達は逃避行動をする。この嫌悪とはこの現象を受けいれることで自己が変化してしまう可能性があるから起こる感情だ。自己を変えないため、恒常性を維持するために、私達は逃避行動を行う。嫌悪感が強いものほど、その現象への逃避行為が自己証明の一つとなりうる。だから逃避を幾たびと行うたびに自己の存在をより一層強く硬くしていくことが出来る。
そんな逃避行動には限界があった。寿命だろうか。逃避人間の寿命は短く、重さなんて存在しないかのように空っぽで、薄っぺらい虚構の人生だ。悲しい事に本人はそれに気がつけない。もしかしたらそれに気が付きたくないだけなのかも知れないが。
その逃避人間の寿命が尽きた時、その人間は目の前の現象に立ち向かわねばならなくなるだろう。逃げない強い人間となるだろう。でもまた逃避人間がその人間の中に芽生えるかもしれない。また逃避人間に戻ってしまうかもしれない。それでも、一度逃避の自分を死なせ、立ち向かったという事実はその人間の脳内に確実に残る。まだその現象に立ち向かうだけの知識や技量、経験がなかっただけかもしれない。その現象を完全に受け入れることのできる人間ではなかったのかもしれない。その現象に立ち向かうということはその現象に対して己が足りていないモノを無慈悲に現実的に突きつけてくる凶器であるかもしれない。実は逃げずにやりきることは、やってみれば以外と簡単なことで、今までの逃避行動は一体何だったのだろうと知る事になり、なんとも言えない空っぽな気持ちになるのかもしれない。
逃避人生。そんな人生を歩んできた人間は一度、逃げるだけ逃げ続けるべきだと私は思う。逃避を逃避してはいけない。徹底的に逃避すべきだ。客観的に見ればその行為は無駄なモノでしかないだろう。その無駄なモノに無駄に時間をかけて無駄に感情を費やして悩み苦しんでみるといいだろう。逃避とは無駄な物だが、逃避の限界に達し、立ち向かうための新たな一歩踏み出すことさえできれば、無駄だった物が価値のある物を生み出すきっかけとなる聖遺物に変化する。
もう逃げられない、そんな自己内省の中で最も深い場所に来れば、生きている人間は何かしらの活力を見出せる。きっと、その活力こそが逃避行動のその先にある、何かなのだろう。