寝起き考察
- 2015/08/26
- 23:16
Plan。
・寝起きが良くないという事を克服するための考察をする。
・どんなに眠くても仕事なんだから朝起きるのが当たり前のマインドにする。
Do。
朝起きることというのは苦痛である。
心地のよい夢を見ている最中をぶっ壊すものであったり、体がだるくて動かすのがしんどすぎたり。苦痛に感じるものは人それぞれ異なるが、私の中では寝起きというものがかなり大きな苦痛に該当していると思う。
今日の朝は特に最悪だった。
二つのケータイと一つの目覚まし時計が同時に鳴り響くが、止められない。
ダルすぎる。太い釘でベッドの上に打ち付けられたかのように動かない腕、肩、足、腰と光が入るのを固く拒んでいる二枚貝のような目蓋と夢で幸せに心地のよい思いを深々と味わっていた腐った脳ミソ。これらが目覚まし時計を止める事を諦めさせていた。
時計たちは一旦音を鳴らすのを諦めた。しかし昨晩設定したその5分後にスヌーズ機能が発令し、私は釘と貝と腐ったクルミを背負って起きる事を選択した。
薄ら目を開けて朝食のコンフレークを用意する。しかし限界がきたのか、それを食する時にはもう目が閉じていた。目を閉じながらも私はコンフレークをヨーグルトに混ぜてスプーンで掬い取り、そのまま口に流し込む。無味。味覚もまだ寝ぼけている事を確認した。
服を着て、身なりを整える。まだ体の調子が戻らない。おかしい。風邪でも貰ってきたか?だが休むわけにもいかない。歯をくいしばる。体は釘、目蓋は貝、脳は腐ったクルミのまま、服に手を伸ばし、カミソリに手を伸ばし、ドライヤーに手を伸ばし、今日の仕事の予定を思い出す。そして食いしばった歯を緩める。
今日の仕事はなんと3hだけ。希望が見えてきた。3hだけなら頑張ろう、頑張れる、頑張るんだ。3hだけやりきれば私は釘と貝と腐ったクルミから解放される。昼前に帰れるのだ。終わったら慎重に慎重に車を飛ばそう。昼飯なんていらねぇ。仕事が終わったら直ちに帰宅し、現実の世界なんか投げ捨てて夢世界に落ちてしまおう。だから今日は気合いを入れよう。なんだか少しだけ釘と貝と腐ったクルミの重みが和らいだような気がした。
準備ができたので出発前にNHKでまれがいつの間にか子作り契約を完了確認しているのを確認し、ニュースが今まさに始まるのを確認つつスマホをチェックする。魔法少女からの通知をスライドする。まれを寝過ごした母がおはようと言いながら部屋にやってくる。
その時だった。
私の背筋に戦慄を走らせる衝撃が同時に起こるとはまさか思わなかった。
『今日は◯◯ちゃんの日だっけ?』
“8月27日水曜日、今日のニュースです”
「あんた夜仕事でしょ、晩飯どーすんの」
戦慄とともに、釘と貝と腐ったクルミの重みが倍に跳ね上がり私は「マジかよ…」と苦痛の果ての嘆きとやらを呻いていた。
毎週水曜日の夜は学生の家庭教師。私は今日がまさにその水曜日であるのをすっかり忘れてしまっていたのであった。
Check。
今日を終えてみると、あれや意外。あんなに眠たかった奴が今こうして文章を寝ずに作っている。午前中の仕事も、夜の仕事も今日は楽しく、いい結果で終える事ができたからだ。午前中の仕事を終えた後、コンビニの駐車場に車を止め、3時間も寝てしまった。夜の仕事を始めるまでは憂鬱で仕方がなかったが、終えてみればなんだかすっきりしていたのだった。
釘と貝と腐ったクルミの原因もわかった。釘は単に筋肉痛。前日の仕事(鬼ごっこ)が響いたのだろう。貝はものもらい。眼科いこう。クルミは最近営業していない事による自虐的なプレッシャー。いつでもエロトロピーを凌駕できる魔法少女がいるからという営業のモチベ低下が現実世界の私を自己嫌悪しているのだろうから、きっと夢の世界に逃げ込もうとしたのだろう。そんな腐った現状を打破するべく9月に行われる納涼船営業講習に参加する事を決意した。凄腕営業師で界隈で知らぬ人はいない、流星氏と公家シンジ氏両名の主催イベント。
寝起きの辛さとは、営業の地蔵と似てると思った。はじめの声をかけはやはり辛い。苦痛だ。が、それを終えると二回目の声かけははじめの苦痛よりも半分程のもののハードルとなっている。恐らく一度ハードルを越えることで、瞬時にトランスに入ってしまうのだと思う。そのトランスが営業をするのが当たり前の自分を呼び起こす。
何事もはじめを乗り越えることは辛い。乗り越えなければいけない壁というのは嫌悪感を抱く現象を前にして現れる。前回も書いた通り、それら嫌悪感を抱く現象を前にして逃避を起こせば起こすほどそれを乗り越えるのは大変困難なものとなる。
だからこそ大切なことであると思われる。
さて、寝坊も地蔵もする私だ。寝坊をやめればもしかしたら地蔵しなくなるのかもしれない。
今日のように気合いで乗り越えるのもいいだろう。とりあえず一歩は踏み出せるだろう。だがやっぱり苦痛だ。嫌々やるものに自主性なんて生まれないし、自主性のないものを継続できるはずはない。壁を完全に乗り越えるにあたっては、一歩踏み出すことは確かに大切なことなのだけれど、それだけでは壁を乗り越えるのに必要な歩数が足りていない。
逃避すること自体は悪いことではない。だからこの場合、例えば今日の寝起きの壁を乗り越えるのならば、逆に逃避をうまく使ってこの壁を乗り越えてみればいいのではないであろうかと私は仮説を立てる。
逃避という表現は違うかもしれない。その方法とは異なる方法や考え方を用いて壁を乗り越えていく、という意味だ。
方法を変えて睡魔の壁を乗り越えるには、今回の起き方に注目してみるべきだ。筋肉痛で動かすのが億劫で瞬きもままならないそれらの部分に無茶をして体を起こそうとするのは苦痛でハードルが高い。だったら筋肉痛になっていない手や足の指先をうごかしまくって体の感覚を徐々に起こしていくのはどうだろうか。トランスで腐った脳みそが覚醒する。覚醒したら今度は舌を動かしまくって唾液を増やす。寝起きは口内が乾いていて臭い。だからまず口内を湿らせよう。あるAV男優曰く、唾液を出すには己の舌で歯を磨くように舌を動かせば沢山唾液がでるという。舌が終えたら眼球や口角など、体の中の細かな部分を徐々に起こしていく。
そうすればいつの間にか脳みそはしっかりと覚醒しているだろう。脳みそが覚醒している状態ならば筋肉痛でぐったりな体を起こすのは幾分か楽になるだろう。
考え方を変えて睡魔の壁を乗り越えるには、目覚ましが鳴り響いている最中に考えることに注目してみよう。今回目覚ましが鳴った時、「起きるのダリィ…」と、最終的に行うべく行動の事についてだけ考えていることがわかる。そうではなく、まずは今日やるべくことを思い出すことを始めよう。今日の仕事は何か、今日のアポは何か、この後やるべきことは何か、まずそれを考える。起きるための理由付けをする。行動を起こしやすくするために、ある理由をつくってから行動に移す。機械ではない、人間は理由なき行動を続けていくことができないからだ。
Action。
・朝のまぶたを柔らかくするためにも早く寝よう。