依存の方法
- 2015/08/28
- 01:37
答えがわからないと不安になる。生きているとよく答えがない問題に当たる時がある。我々はよくそんな問題にぶち当たるのだが、答えがわからないからやはり不安になる。本当は解かないでいい問題なはずなのに一人で勝手に不安になっている。
不安を解消するために人は答えを求める。
答えを与えることは人を依存させることだ。高石氏の本に書いてあったそれは今でも私の中に引っかかっている。
わからないことがあると我々はグーグルや知恵袋に答えを求める。不安が解消される。またわからないことが起こる。我々はまたグーグルや知恵袋に答えを求めようとする。そして疑問の解決はグーグルや知恵袋に聞くことが最適解であると知る。
答えのない問題に直面し、解消できない不安が体に溜まる。ツイッターや出会い系、SNSなどのネット上、職場の同僚、営業された男など問題に直面しているコミュニティ外の関係に、不安を吐き出す。そうすると親身になって助けてくれる。たとえ解決出来ない問題でもうんうんと優しく頷きながら聞いてくれる。不安が解消される。しかしまた溜まる。またそれらにアクセスする。それが最適解と知ってしまったから。
依存の完了例である。
依存をさせるにはこたえを与えればいい。答えを求められた時にすっと答えを与えてあげればそれだけで人は依存してくる。
依存されたいのならそれで良いのだろうけれど、どうだろう。女の子が自分に依存してきてくれればな、となんだかんだ私は思っていたけれど、人から聞いたり己がそれを実体験することによって、それってなんだかよくないことかも、と思った。依存とは考えることの放棄だ。だからだろうか、依存してくる相手というのはアイデンティティーがないように感じる。依存を続けていくと教えて教えてと口煩くなる。何故なら答えがないと不安だったのが、いつの間にか答えてくれないと不安と言うような状態になってしまっているから。
まるでファービーのように勝手に喋り出すうるさい人形のようだ。つまらないどころか、ちょっと大変である。面倒くさいから電源をオフにしたいが残念、人間です。嫌ならば距離を置くしかありません。
他人を自分に依存させるべきなのか否か、させたいのか否かはまだ私には分からない。が、少なくとも自分は人に、答えに依存しすぎないように心掛けていく。人類には全地球上で最も優れたコンピューターが頭に備わっているのだから使わなきゃ勿体無い。
私達が本当に得るべき答えは依存して得られるものではない。完全に自立が出来ていると自負している状態で、まるで予想もしなかった、自分では発想すること気がつくことすらできなかった、絶対にそれではないだろうと思っていたものを、人からこれが答えですと告げられたものこそがきっと得るべき答えだろう。
不安を解消するために人は答えを求める。
答えを与えることは人を依存させることだ。高石氏の本に書いてあったそれは今でも私の中に引っかかっている。
わからないことがあると我々はグーグルや知恵袋に答えを求める。不安が解消される。またわからないことが起こる。我々はまたグーグルや知恵袋に答えを求めようとする。そして疑問の解決はグーグルや知恵袋に聞くことが最適解であると知る。
答えのない問題に直面し、解消できない不安が体に溜まる。ツイッターや出会い系、SNSなどのネット上、職場の同僚、営業された男など問題に直面しているコミュニティ外の関係に、不安を吐き出す。そうすると親身になって助けてくれる。たとえ解決出来ない問題でもうんうんと優しく頷きながら聞いてくれる。不安が解消される。しかしまた溜まる。またそれらにアクセスする。それが最適解と知ってしまったから。
依存の完了例である。
依存をさせるにはこたえを与えればいい。答えを求められた時にすっと答えを与えてあげればそれだけで人は依存してくる。
依存されたいのならそれで良いのだろうけれど、どうだろう。女の子が自分に依存してきてくれればな、となんだかんだ私は思っていたけれど、人から聞いたり己がそれを実体験することによって、それってなんだかよくないことかも、と思った。依存とは考えることの放棄だ。だからだろうか、依存してくる相手というのはアイデンティティーがないように感じる。依存を続けていくと教えて教えてと口煩くなる。何故なら答えがないと不安だったのが、いつの間にか答えてくれないと不安と言うような状態になってしまっているから。
まるでファービーのように勝手に喋り出すうるさい人形のようだ。つまらないどころか、ちょっと大変である。面倒くさいから電源をオフにしたいが残念、人間です。嫌ならば距離を置くしかありません。
他人を自分に依存させるべきなのか否か、させたいのか否かはまだ私には分からない。が、少なくとも自分は人に、答えに依存しすぎないように心掛けていく。人類には全地球上で最も優れたコンピューターが頭に備わっているのだから使わなきゃ勿体無い。
私達が本当に得るべき答えは依存して得られるものではない。完全に自立が出来ていると自負している状態で、まるで予想もしなかった、自分では発想すること気がつくことすらできなかった、絶対にそれではないだろうと思っていたものを、人からこれが答えですと告げられたものこそがきっと得るべき答えだろう。