【納涼船講習2日目④】 公家シンジという男、相方Aという男
- 2015/09/26
- 23:29
※お二人の検閲済みの記事です。
夜な夜な煌煌光を発する上野のとある一角のビル一階。その喫茶店に私は入る。入口手前のテーブル席に二人はいた。
「負けました」
私は席に着くや否やそう言葉を吐き出した。お疲れ、と、シンジさん、A君の労いの言葉が返ってくる。
テーブルに置かれた飲みかけの三つのコーヒーカップ。
「なんでカップ三つあるんですか?」
二人以外に誰かいた、という思考すら働かず私はこのテーブルの当たり前の違和感を一つだけ指摘した。
「さっきまで黒ドレスと三人で飲んでたんだよ」
シンジさんは肩の力を落とし、しかし腕を組み、A君を目に捉えながらいう。A君とさっきまで話をしていたのだろう。
私は返ってきた言葉にすぐさま納得した。そしてまた疑問が湧く。何故今、こうも考える暇もなく素早く次の言葉が浮かぶのか。営業している時みたいだった。
「えっ、本当ですか?その、大丈夫だったんですか…?」
A君とシンジさん、交互に見ながら私はシンジさんに尋ねた。
A君は少し笑顔のような顔をしていた。ような、というのは本当の笑顔ではないということだ。目も口元も周りの筋肉も、あえて形容するのなら笑顔という程度の表情で、まるである一場面でピタと固定してしまったかのような、パイ投げをされた時のそのクリームがじつは木工用ボンドで、ちょwまてよ〜wと言いながらタオルで拭き取っている間に固まりきってしまったかのような表情だった。
シンジさんも笑顔だった。柔らかい表情をしていた。だが、その笑顔に秘めたものは決して笑顔なんかではないだろう、そう思われる笑顔で私に言う。
「なかよーく飲んでたよ」
シンジさんは組んでいた両腕を外しそのままテーブルの上に乗っける。
「さて、反省会をしようか」
「どうだった?」
「惨敗です。鬱っぽい感じでここまで歩いてきましたよ、結構距離ありますね」
「ああそういや、ツイッターにあったね。負けたって」
「はい」
「店内ではどんな感じだったの?」
「店内ではキスをして、頃合かなと思ってそのまま会計を済ませ、外へ出ました。その時ホテル行こうってそのままストレートに伝えまして、無理っ!てなり、雰囲気ぶち壊しルーティーンっ!って感じで終了です」
中学生が今起きたことをありのままに話したかのような説明だったと思う。
シンジさんは私の方は見ずにテーブルのどこかをぼんやりと抽象的に眺めながら、しかし耳はちゃんとこちらに傾けているようで、うんうん、としっかり相槌を打ちながら私の話を聞いてくれていた。
「そうかぁー」
私の話が終わるとシンジさんはふっと上を仰ぎ、またテーブルのどこかに視線を戻す。その場で何があったのか、私の拙い話を分析し解析し咀嚼しているのだろうか?そんな感じがした。
「はぅあぁうぁああ〜」
私は唐突にソファーからテーブルの下に潜り込んでしまうくらいの勢いで崩れ落ちた。ふざけてやったのかマジでやったのか…恐らく半々だろう。脱力した様を体全体で表現したかったし、体全体を脱力せざるをえなかった。まぁふざけているとしか見えないのだが、シンジさんはただただ私の軟体動物っぷりを笑って見ててくれていた。今思えば、何度か流星さんやシンジさんにくだらないギャグをかましていたのは、もしかしたら寂しさによるところかもしれない。凄腕の彼ら、同じ営業契約の道を志す仲間たちにあえて、心底嬉しく、餓鬼のように甘えていたからかもしれない。確かに負けた。だけれども今日を共に即興の『お笑いチーム』として戦い抜いた相方A君、最後まで面倒を見てくれた憧れのシンジさんとこうしてまた出会えて話ができて、本当は嬉しかったのだろう。
「そくりたかったな…」
だが軟体動物の口からはその言葉しか出なかった。
「そうやって講習来て苦しんでる人見るの、好きなんですよ」
シンジさんは軟体動物に嬉しそうにそう告げる。シンジさんの中には性根悪な悪戯心の人格が巣食っていることを確信した。頼んだカフェオレが届き、店員さんに嫌な顔をされたのを確認し、私は背骨を正した。
私はシンジさんから主に3点、具体的な指導を受けた。
・雰囲気ぶち壊しルーティーンを誤用している。雰囲気ぶち壊しルーティーンとは本来食いつきがある状態で行うもの。もう目の前はベッドで、契約するかしないかの最終グダを切り崩すためのものなのだから食いつきを上げる段階でそれをやるのはダメ。
・店内クロージング。本来のクロージングは場所を点々と変えていくことで食いつきを上げていき「入ろっか」する。だが店内クロージングは1店舗目で食いつきを最大まで上げ、契約確定まで持っていくという手法。この店内クロージングは今回の私の相手のような予め一定の食いつきがある女の子に有効な手段。要はあの場面、キスで終わらず、工学で言うならばCT直前まで和み仕上げておけばよかったのである。
・カサのくだり。本当に申し訳ない気持ちになっていなかった。そのせいで曖昧な謝罪になってしまった。その曖昧な謝罪のせいで自分自身がもやもやしてしまい、タクシー内で和むことができなかった。そして女の子が悲しんでいる時、自分が悪い悪くない関係なく、女の子の近くに寄り添ってあげることが大切。QBは心も体も寄り添うことをせず自分の罪悪感に押しつぶされ、チャンスを何度も逃した。
そのアドバイスに、私は目から鱗というよりは、それはそうだと忘れていた当たり前のことを再度気が付かされた。ためにためて、必死に抑え込んでいた自己嫌悪の蓋はとうに外れていて、シンジさんの一つ一つの言葉がミミクソまみれな外耳に突っ込んだ綿棒のようにどんどんどんどん掘り出していく。掘り出されるたび、外交的な自分が崩壊し、どんどん内向的になっていくのがわかった。体の中は感情的になっていく。だが、泣き出したり、喚いたり、この場から逃げ出したりすることはなかった。社交的にアウトだから?人が目の前にいて恥ずかしいから?この時はまだわからなかった。
指導のメインはA君の方だった。
まずはラインでの連絡。彼の連絡がなかったせいで無駄な行動が増え全体に悪影響を及ぼした、とシンジさんはいう。この事は正直私も同様で、他のメンバーに迷惑をかけてしまっていた。だからA君へのシンジさんの言及にとても耳がいたかった。
「俺もです…流星さんに、そしてA君に連絡を上手くすることができなかった。反省です…」
耳の痺れを切らして私はいう。というより、罪悪感によるところだろうか。A君だけでなく、私にも怒って欲しかった。それでもシンジさんはA君への言及をやめなかった。
A君の顔はやっぱり悲しい顔ではなかった。どちらかといえば笑顔のような表情、けれどその表情を作る筋に動きは一切なく、目線はただシンジさんの方を向くが力が入っていない。両手を絡めるようにして前で組み、上半身動いているのは頷きで使う首の骨だけに見えた。
「申し訳ないんだけれど、君からはナンパをするためのやる気を感じられない」
ラインのやり取りの指導から派生して、いつの間にかシンジさんはA君の個人的な内容についての話になっていた。「普段講習では怒ることはしない」という自身の発言についツッコミを入れてしまいたくなるくらい、シンジさんの言葉と表情は異なっていた。段々と悪しき方にそしてシンジさんの感情が傾いていっているのが私にはわかった。
「時間を無駄にしている。そしてそれはやる気のある人にも迷惑だ。失礼なことなんだよ」
シンジさんの言及は続く。私は彼がどんな様にシンジさんの話を聞いているのか、観察をしていた。A君は表情が固まり続けたお陰で頷くだけの機械になっていた。こんだけ言われて悔しくないのだろうか。辛くないのだろうか。悲しくならないのだろうか。私だったら泣く。「ナンパやらない方がいい」とまで言われたら私の中の自己嫌悪も相当なものあったから内から外からのダブルパンチでしょっぱい顔になってしまう。だからA君も泣いてしまうのではないかと思った。でも彼は一切泣かなかった。溢れる気配が一切なかった。感情なんて自分にはないのだと、そんな感情的な言葉を言うくらいならもっと具体的なアドバイスが欲しい、という心境だったのだろうか。私にはわからないし、そんな自分になっていることすら彼もきっとわかってないと思った。
その様をシンジさんも見ていたからだろうか、彼の表情、頷きが機械的になるにつれて言及が荒ぶっていく。いや、シンジさんの言葉が荒ぶるたびに彼が機械的になっていっていたのだろうか?どっちが先かはよくわからない。だがシンジさんはきっと、彼のこの機械の顔を剥がしたいのだろうというのは間違いなかった。だから剥がそうと言葉を荒ぶり高めていく。そんな気がした。でも言葉で剥ぐたび削るたび突いていくたび、彼の顔の硬さは比例して硬くなる。
一瞬だった。
不動のであった彼の左頬の筋肉がピクッと引きつり、左人差し指がいつの間にか右手の中でトントントンと叩き始めているのが見えた。それに気がついた時にはもう私の口は開いていた。
「今さ、シンジさんの話聞きながら指トントントンってやっていたよね。」
A君はハッとしたのかその指の動きを止め私の方を見る。死んだ魚のように静止していた瞳孔はギョロッと動き開いた。シンジさんも驚いたのだろうか。すっとこちらに体を向ける。
「それと今さっき。左頬がピクッピクッと微妙に痙攣してたの、わかった?」
気が付いた時には私はA君に言葉をぶつけていた。A君を咎める言葉じゃない。咎めさせるための内容じゃない。何故か私はA君に私の営業について考えていることや、何のために営業をしているのかということ、今日私が思ったこと、感じたこと、悔しかったこと、実は鬱っぽい人間であること、営業は復讐だったりその他いろんなことがきっかけで始めたということ、などなど。唐突に必死にA君に、私の自己紹介をはじめていた。何故長い長い自己紹介を熱弁してA君に言ったのかは今でもわからない。ただ何故か、A君にこのことを伝えなければいけない様な気がして口が勝手に動き出し、言葉を発していた。意味なんてないだろう。だって私は彼に何かを伝えたいと思って話している訳ではないのだから。ただ話したくてしょうがなかった、口が動くまま、言葉が出続けるままに話をした。ただ一つだけはっきりとしてわかっていたことは、私はA君におそらく無意味な激論をしている最中、涙が溢れそうだったということだけだ。二人は私の無意味なその話を黙って聞いてくれていた。
私が口を開くのを止めた時、A君はいつの間にか体の硬化が取れており、シンジさんは邪険を消し去ってくれていた様な気が少しだけした。
ふとシンジさんは天井を見上げ、指差してこういった。
「ナンパをしていて病んでしまう人は完璧主義者に多く、それはいつまでも遠い天井を見上げ続けている。自分が積み重ねてきた石に目もくれず、こんなこと誰でも出来ますし、と言う。」
「成長とはプールの底から石を積み上げるようなもの。一個づつ積み重ねていけばいつか水面に出るはずなのにそういう人はいつまでたっても水中から出てこない。この今まで積み上げてきた石の数に喜びを見出せないとナンパ師は壊れていく。」
なるほど…と私は呟いていた。
この様に壊れていく営業師を私は知っていた。それは本の中やとある人のブログの中でその存在だけ知っていた。知っていた事だったのだが、この時はこの事実に新鮮味があった。この壊れていくタイプの営業師はまるでこの時の私の事のようだったからだ。
シンジさんはまた、ふと思い出したかのようにこんどはスマホで写真を見せてきてくれた。急だったのでシンジさんがこれは誰の写真だよ、と言った部分は聞き取れなかった。そこには笑顔でピースしている少年の写真があった。嬉しそうな、楽しそうな、何かに満足していそうな、幸せそうな顔だった。
「どう思う?」
私は瞬時にこう呟いた。
いや、こう、つぶやてしまったのだ。
私は営業師だからこう呟かなければならなかったのだ。
「オタクっぽい童貞っぽい人ですね」
と。
多分営業を志す者は皆同じリアクションを取るだろう。いや、取らざるおえない。この写真が如何にも「幸せそうだ」と口にしたら今の自分の存在を否定することになってしまう。
シンジ氏はそう呟かれた返信はもう何回も見てきたようで、なんだか満足そうな笑顔でそうだよねと言った。この時は殆ど童貞だった、たしかそうシンジ氏は言いながら笑って次の写真を見せてきた。半年後だったか3年後の写真だったか。同一人物の写真だった。メガネで横のサイドを借り上げて、髪の毛をあげていた…ような…。メガネなのは変わらないが、目つきは圧倒的に悪くなっていた。一枚目と比べて、負のオーラというべきか、何かを悟りきったかのような追い込まれているかの様な不信感を募らせているかのような雰囲気をまとっている印象だけがはっきりと記憶に残っている。それを見た瞬間今度は無意識に、直感的に私はこう呟いた。
「風俗通いって感じの人ですね」
と。これが同じ人ならまぁ確かに随分変わったなと思った。だけれども、お店で童貞を捨てて女を知った気になったオタクの友達に随分似ていたので私はそう答えた。シンジ氏はうーん、と言っていい、笑顔が無表情に戻ってしまっていた。恐らく見当違いな回答だったのだろう。あの写真は、
「ナンパをする前と後の公家シンジ」
の写真だったからだ。
あの写真と今のシンジさんをイメージの中で見比べてみる。一番最初に見たシンジさんの写真は笑っていた。二番目は不満げな顔をしていた。そして今の顔は、どんな顔だったろう…連れ出した女の子が言っていたものの中に
「彼はサイコパスみたいな目をしている」
と言うのがあった。今のシンジさんは、写真の頃に描いていた心の理想の姿とともに、そのころ一緒に住み着いていた心の闇までもが表面化しているのかもしれない、と、ふと思った。
反省会はたぶん、シンジさんがトイレの場所を間違えて喫茶店の奥まで行ってしまった時にはもう終わっていたと思う。そのあとは営業師界隈のいろいろなたわいもない事を話した。(この時シンジさんが5日間を共にした相棒、流星さんのことをとてもいい感じに言ってた気がするのだけれど忘れてしまった。悔しい)
全てははっきり思い出せないがそれら全ての話に驚きや、納得、感心があった。夜通し営業師として生きている人達とこうやって長々と話し合ったことは私には一度もなかった。いつも一人でいる私にとっては楽しい夢のような時間だった。自己嫌悪は脳みその裏側の何処かで眠りについていた。
シンジさんは私たちより先に喫茶店を出た。
そのあと私はA君にゲームを仕掛けた。A君の固定された表情の裏に潜む感情を引き出す事をした。シンジさんがあれだけ言って感情を表に出さないのはなんかつまらないな、と私の本能が呟いていた。その本能の囁きに従いA君という人物を引き出していくことをしていた。別に特殊な技法は使っていない。営業師なら誰でも女に使っている傾聴の術を用いただけだ。シンジさんの猛攻によって撃沈していたA君は私の仕掛けたゲームによって復活はした。A君という人間の何かの何かしらがある程度の量変化したのも確信はできた。彼は笑顔で「QBはシンジさんにも○○さんにも崩せなかった俺の感情グダを崩せたんだよ!」と喜びを見せてくれてはいたのだけれど、彼にとって…はたまたシンジさんにとっても、これはいい事だったのか、悪い事だったのか、やっぱり私にはわからなかった。私はA君とともに上野駅に入り、彼の乗るホームの階段手前までついていき、見送った。
ふと思えば、
私は彼らと握手をせずに別れていた。
夜な夜な煌煌光を発する上野のとある一角のビル一階。その喫茶店に私は入る。入口手前のテーブル席に二人はいた。
「負けました」
私は席に着くや否やそう言葉を吐き出した。お疲れ、と、シンジさん、A君の労いの言葉が返ってくる。
テーブルに置かれた飲みかけの三つのコーヒーカップ。
「なんでカップ三つあるんですか?」
二人以外に誰かいた、という思考すら働かず私はこのテーブルの当たり前の違和感を一つだけ指摘した。
「さっきまで黒ドレスと三人で飲んでたんだよ」
シンジさんは肩の力を落とし、しかし腕を組み、A君を目に捉えながらいう。A君とさっきまで話をしていたのだろう。
私は返ってきた言葉にすぐさま納得した。そしてまた疑問が湧く。何故今、こうも考える暇もなく素早く次の言葉が浮かぶのか。営業している時みたいだった。
「えっ、本当ですか?その、大丈夫だったんですか…?」
A君とシンジさん、交互に見ながら私はシンジさんに尋ねた。
A君は少し笑顔のような顔をしていた。ような、というのは本当の笑顔ではないということだ。目も口元も周りの筋肉も、あえて形容するのなら笑顔という程度の表情で、まるである一場面でピタと固定してしまったかのような、パイ投げをされた時のそのクリームがじつは木工用ボンドで、ちょwまてよ〜wと言いながらタオルで拭き取っている間に固まりきってしまったかのような表情だった。
シンジさんも笑顔だった。柔らかい表情をしていた。だが、その笑顔に秘めたものは決して笑顔なんかではないだろう、そう思われる笑顔で私に言う。
「なかよーく飲んでたよ」
シンジさんは組んでいた両腕を外しそのままテーブルの上に乗っける。
「さて、反省会をしようか」
「どうだった?」
「惨敗です。鬱っぽい感じでここまで歩いてきましたよ、結構距離ありますね」
「ああそういや、ツイッターにあったね。負けたって」
「はい」
「店内ではどんな感じだったの?」
「店内ではキスをして、頃合かなと思ってそのまま会計を済ませ、外へ出ました。その時ホテル行こうってそのままストレートに伝えまして、無理っ!てなり、雰囲気ぶち壊しルーティーンっ!って感じで終了です」
中学生が今起きたことをありのままに話したかのような説明だったと思う。
シンジさんは私の方は見ずにテーブルのどこかをぼんやりと抽象的に眺めながら、しかし耳はちゃんとこちらに傾けているようで、うんうん、としっかり相槌を打ちながら私の話を聞いてくれていた。
「そうかぁー」
私の話が終わるとシンジさんはふっと上を仰ぎ、またテーブルのどこかに視線を戻す。その場で何があったのか、私の拙い話を分析し解析し咀嚼しているのだろうか?そんな感じがした。
「はぅあぁうぁああ〜」
私は唐突にソファーからテーブルの下に潜り込んでしまうくらいの勢いで崩れ落ちた。ふざけてやったのかマジでやったのか…恐らく半々だろう。脱力した様を体全体で表現したかったし、体全体を脱力せざるをえなかった。まぁふざけているとしか見えないのだが、シンジさんはただただ私の軟体動物っぷりを笑って見ててくれていた。今思えば、何度か流星さんやシンジさんにくだらないギャグをかましていたのは、もしかしたら寂しさによるところかもしれない。凄腕の彼ら、同じ営業契約の道を志す仲間たちにあえて、心底嬉しく、餓鬼のように甘えていたからかもしれない。確かに負けた。だけれども今日を共に即興の『お笑いチーム』として戦い抜いた相方A君、最後まで面倒を見てくれた憧れのシンジさんとこうしてまた出会えて話ができて、本当は嬉しかったのだろう。
「そくりたかったな…」
だが軟体動物の口からはその言葉しか出なかった。
「そうやって講習来て苦しんでる人見るの、好きなんですよ」
シンジさんは軟体動物に嬉しそうにそう告げる。シンジさんの中には性根悪な悪戯心の人格が巣食っていることを確信した。頼んだカフェオレが届き、店員さんに嫌な顔をされたのを確認し、私は背骨を正した。
私はシンジさんから主に3点、具体的な指導を受けた。
・雰囲気ぶち壊しルーティーンを誤用している。雰囲気ぶち壊しルーティーンとは本来食いつきがある状態で行うもの。もう目の前はベッドで、契約するかしないかの最終グダを切り崩すためのものなのだから食いつきを上げる段階でそれをやるのはダメ。
・店内クロージング。本来のクロージングは場所を点々と変えていくことで食いつきを上げていき「入ろっか」する。だが店内クロージングは1店舗目で食いつきを最大まで上げ、契約確定まで持っていくという手法。この店内クロージングは今回の私の相手のような予め一定の食いつきがある女の子に有効な手段。要はあの場面、キスで終わらず、工学で言うならばCT直前まで和み仕上げておけばよかったのである。
・カサのくだり。本当に申し訳ない気持ちになっていなかった。そのせいで曖昧な謝罪になってしまった。その曖昧な謝罪のせいで自分自身がもやもやしてしまい、タクシー内で和むことができなかった。そして女の子が悲しんでいる時、自分が悪い悪くない関係なく、女の子の近くに寄り添ってあげることが大切。QBは心も体も寄り添うことをせず自分の罪悪感に押しつぶされ、チャンスを何度も逃した。
そのアドバイスに、私は目から鱗というよりは、それはそうだと忘れていた当たり前のことを再度気が付かされた。ためにためて、必死に抑え込んでいた自己嫌悪の蓋はとうに外れていて、シンジさんの一つ一つの言葉がミミクソまみれな外耳に突っ込んだ綿棒のようにどんどんどんどん掘り出していく。掘り出されるたび、外交的な自分が崩壊し、どんどん内向的になっていくのがわかった。体の中は感情的になっていく。だが、泣き出したり、喚いたり、この場から逃げ出したりすることはなかった。社交的にアウトだから?人が目の前にいて恥ずかしいから?この時はまだわからなかった。
指導のメインはA君の方だった。
まずはラインでの連絡。彼の連絡がなかったせいで無駄な行動が増え全体に悪影響を及ぼした、とシンジさんはいう。この事は正直私も同様で、他のメンバーに迷惑をかけてしまっていた。だからA君へのシンジさんの言及にとても耳がいたかった。
「俺もです…流星さんに、そしてA君に連絡を上手くすることができなかった。反省です…」
耳の痺れを切らして私はいう。というより、罪悪感によるところだろうか。A君だけでなく、私にも怒って欲しかった。それでもシンジさんはA君への言及をやめなかった。
A君の顔はやっぱり悲しい顔ではなかった。どちらかといえば笑顔のような表情、けれどその表情を作る筋に動きは一切なく、目線はただシンジさんの方を向くが力が入っていない。両手を絡めるようにして前で組み、上半身動いているのは頷きで使う首の骨だけに見えた。
「申し訳ないんだけれど、君からはナンパをするためのやる気を感じられない」
ラインのやり取りの指導から派生して、いつの間にかシンジさんはA君の個人的な内容についての話になっていた。「普段講習では怒ることはしない」という自身の発言についツッコミを入れてしまいたくなるくらい、シンジさんの言葉と表情は異なっていた。段々と悪しき方にそしてシンジさんの感情が傾いていっているのが私にはわかった。
「時間を無駄にしている。そしてそれはやる気のある人にも迷惑だ。失礼なことなんだよ」
シンジさんの言及は続く。私は彼がどんな様にシンジさんの話を聞いているのか、観察をしていた。A君は表情が固まり続けたお陰で頷くだけの機械になっていた。こんだけ言われて悔しくないのだろうか。辛くないのだろうか。悲しくならないのだろうか。私だったら泣く。「ナンパやらない方がいい」とまで言われたら私の中の自己嫌悪も相当なものあったから内から外からのダブルパンチでしょっぱい顔になってしまう。だからA君も泣いてしまうのではないかと思った。でも彼は一切泣かなかった。溢れる気配が一切なかった。感情なんて自分にはないのだと、そんな感情的な言葉を言うくらいならもっと具体的なアドバイスが欲しい、という心境だったのだろうか。私にはわからないし、そんな自分になっていることすら彼もきっとわかってないと思った。
その様をシンジさんも見ていたからだろうか、彼の表情、頷きが機械的になるにつれて言及が荒ぶっていく。いや、シンジさんの言葉が荒ぶるたびに彼が機械的になっていっていたのだろうか?どっちが先かはよくわからない。だがシンジさんはきっと、彼のこの機械の顔を剥がしたいのだろうというのは間違いなかった。だから剥がそうと言葉を荒ぶり高めていく。そんな気がした。でも言葉で剥ぐたび削るたび突いていくたび、彼の顔の硬さは比例して硬くなる。
一瞬だった。
不動のであった彼の左頬の筋肉がピクッと引きつり、左人差し指がいつの間にか右手の中でトントントンと叩き始めているのが見えた。それに気がついた時にはもう私の口は開いていた。
「今さ、シンジさんの話聞きながら指トントントンってやっていたよね。」
A君はハッとしたのかその指の動きを止め私の方を見る。死んだ魚のように静止していた瞳孔はギョロッと動き開いた。シンジさんも驚いたのだろうか。すっとこちらに体を向ける。
「それと今さっき。左頬がピクッピクッと微妙に痙攣してたの、わかった?」
気が付いた時には私はA君に言葉をぶつけていた。A君を咎める言葉じゃない。咎めさせるための内容じゃない。何故か私はA君に私の営業について考えていることや、何のために営業をしているのかということ、今日私が思ったこと、感じたこと、悔しかったこと、実は鬱っぽい人間であること、営業は復讐だったりその他いろんなことがきっかけで始めたということ、などなど。唐突に必死にA君に、私の自己紹介をはじめていた。何故長い長い自己紹介を熱弁してA君に言ったのかは今でもわからない。ただ何故か、A君にこのことを伝えなければいけない様な気がして口が勝手に動き出し、言葉を発していた。意味なんてないだろう。だって私は彼に何かを伝えたいと思って話している訳ではないのだから。ただ話したくてしょうがなかった、口が動くまま、言葉が出続けるままに話をした。ただ一つだけはっきりとしてわかっていたことは、私はA君におそらく無意味な激論をしている最中、涙が溢れそうだったということだけだ。二人は私の無意味なその話を黙って聞いてくれていた。
私が口を開くのを止めた時、A君はいつの間にか体の硬化が取れており、シンジさんは邪険を消し去ってくれていた様な気が少しだけした。
ふとシンジさんは天井を見上げ、指差してこういった。
「ナンパをしていて病んでしまう人は完璧主義者に多く、それはいつまでも遠い天井を見上げ続けている。自分が積み重ねてきた石に目もくれず、こんなこと誰でも出来ますし、と言う。」
「成長とはプールの底から石を積み上げるようなもの。一個づつ積み重ねていけばいつか水面に出るはずなのにそういう人はいつまでたっても水中から出てこない。この今まで積み上げてきた石の数に喜びを見出せないとナンパ師は壊れていく。」
なるほど…と私は呟いていた。
この様に壊れていく営業師を私は知っていた。それは本の中やとある人のブログの中でその存在だけ知っていた。知っていた事だったのだが、この時はこの事実に新鮮味があった。この壊れていくタイプの営業師はまるでこの時の私の事のようだったからだ。
シンジさんはまた、ふと思い出したかのようにこんどはスマホで写真を見せてきてくれた。急だったのでシンジさんがこれは誰の写真だよ、と言った部分は聞き取れなかった。そこには笑顔でピースしている少年の写真があった。嬉しそうな、楽しそうな、何かに満足していそうな、幸せそうな顔だった。
「どう思う?」
私は瞬時にこう呟いた。
いや、こう、つぶやてしまったのだ。
私は営業師だからこう呟かなければならなかったのだ。
「オタクっぽい童貞っぽい人ですね」
と。
多分営業を志す者は皆同じリアクションを取るだろう。いや、取らざるおえない。この写真が如何にも「幸せそうだ」と口にしたら今の自分の存在を否定することになってしまう。
シンジ氏はそう呟かれた返信はもう何回も見てきたようで、なんだか満足そうな笑顔でそうだよねと言った。この時は殆ど童貞だった、たしかそうシンジ氏は言いながら笑って次の写真を見せてきた。半年後だったか3年後の写真だったか。同一人物の写真だった。メガネで横のサイドを借り上げて、髪の毛をあげていた…ような…。メガネなのは変わらないが、目つきは圧倒的に悪くなっていた。一枚目と比べて、負のオーラというべきか、何かを悟りきったかのような追い込まれているかの様な不信感を募らせているかのような雰囲気をまとっている印象だけがはっきりと記憶に残っている。それを見た瞬間今度は無意識に、直感的に私はこう呟いた。
「風俗通いって感じの人ですね」
と。これが同じ人ならまぁ確かに随分変わったなと思った。だけれども、お店で童貞を捨てて女を知った気になったオタクの友達に随分似ていたので私はそう答えた。シンジ氏はうーん、と言っていい、笑顔が無表情に戻ってしまっていた。恐らく見当違いな回答だったのだろう。あの写真は、
「ナンパをする前と後の公家シンジ」
の写真だったからだ。
あの写真と今のシンジさんをイメージの中で見比べてみる。一番最初に見たシンジさんの写真は笑っていた。二番目は不満げな顔をしていた。そして今の顔は、どんな顔だったろう…連れ出した女の子が言っていたものの中に
「彼はサイコパスみたいな目をしている」
と言うのがあった。今のシンジさんは、写真の頃に描いていた心の理想の姿とともに、そのころ一緒に住み着いていた心の闇までもが表面化しているのかもしれない、と、ふと思った。
反省会はたぶん、シンジさんがトイレの場所を間違えて喫茶店の奥まで行ってしまった時にはもう終わっていたと思う。そのあとは営業師界隈のいろいろなたわいもない事を話した。(この時シンジさんが5日間を共にした相棒、流星さんのことをとてもいい感じに言ってた気がするのだけれど忘れてしまった。悔しい)
全てははっきり思い出せないがそれら全ての話に驚きや、納得、感心があった。夜通し営業師として生きている人達とこうやって長々と話し合ったことは私には一度もなかった。いつも一人でいる私にとっては楽しい夢のような時間だった。自己嫌悪は脳みその裏側の何処かで眠りについていた。
シンジさんは私たちより先に喫茶店を出た。
そのあと私はA君にゲームを仕掛けた。A君の固定された表情の裏に潜む感情を引き出す事をした。シンジさんがあれだけ言って感情を表に出さないのはなんかつまらないな、と私の本能が呟いていた。その本能の囁きに従いA君という人物を引き出していくことをしていた。別に特殊な技法は使っていない。営業師なら誰でも女に使っている傾聴の術を用いただけだ。シンジさんの猛攻によって撃沈していたA君は私の仕掛けたゲームによって復活はした。A君という人間の何かの何かしらがある程度の量変化したのも確信はできた。彼は笑顔で「QBはシンジさんにも○○さんにも崩せなかった俺の感情グダを崩せたんだよ!」と喜びを見せてくれてはいたのだけれど、彼にとって…はたまたシンジさんにとっても、これはいい事だったのか、悪い事だったのか、やっぱり私にはわからなかった。私はA君とともに上野駅に入り、彼の乗るホームの階段手前までついていき、見送った。
ふと思えば、
私は彼らと握手をせずに別れていた。