人は誰しも夢を持つ。その夢を叶えるには努力という過程が必要になってくる。だから人は努力をこなしていく。一歩二歩三歩と夢までの距離を努力で順当に縮めていく。何でもかんでも順当に、上手くいくということはない。どこかで躓いて転けてしまう。その時人は膝っこぞうにではなく、胸の奥らへんに痛みを覚える。その痛みによって動けなくなってしまったり泣き出してしまったり、周りのひとにキレだしたり、そんな感情起こらずともすぐに立ち上がり歩き始める人もいるだろう。なんにせよ、大抵努力という道程の最初の方の躓きでは、そこまで時間は掛からずにちゃんと立ち上がり、また道程を歩み出す人が多いと思われる。起き上がった直後は、何でかわからぬが、スムーズに努力の道程を歩き進めることができる。
そして歩みを一歩二歩三歩四歩五歩と進めていくと二度目の躓きが訪れる。不思議なことだ。何故か必ず二度目が訪れる。二度目と言わず三度目も四度目も何度でも。努力という道程を歩き続ければ続けるほどそれに比例して躓きの回数は多くなる。だからこの夢を叶えるために歩み進まねばならない努力の道程とは幾分か、否、随分と険しい道程であると悟らざるおえなくなってくる。いつの間にか、先程の躓きよりも長くその場でうずくまったまま動かないでいた事に気がつく。胸の痛みは先程と同じかそれよりも大きいか、それを比較しながら一度自分の周辺を見回す。隣に同じ夢を抱え、また自分と同じところで躓いている人がいる事に気がつく。その隣人にアドバイスや勇気付けを貰い何とかまた立ち上がり努力の道程を歩み続けることをスタートする。一歩進む。また躓く。三度目の躓き。痛みでその場にしゃがみ込んだまま隣に目線を運ばせると、さっきまで真横にいた筈の隣人が斜め前方にいて自分には背中を見せつけながら先へ先へと進んで行き、どんどんその姿が小さくなっているのが分かる。自分がこれから進むであろう努力の道程へ先に歩を進ませていたのだと気がつく。隣人は今自分が躓いている場所では何の躓きもなくスムーズに順調に努力の道程を歩んで行ってて、あっという間に自分が欲しかった夢をもぎ取っていったということを立ち上がらずその場でしゃがみ込みながら思う。そこで立ち上がるかはわからない。歩み始めるのかわからない。だがきっとそれは間違いなく、努力の道程で躓きを積み重ねれば重ねる程、深く深く考えはじめるようになる。
「この夢って自分相応の夢じゃないのかも…?」
と。
そう考え始めると何だか今まで歩んできた努力の道程が急にバカらしいもののように感じ始める。自信をなくし、自己嫌悪が沸き上がる。自分には夢を叶えるだけの才能が元々なかったのだと思い始める。努力の道程を歩み続けても一生「夢というゴール」には辿り着けないのだと思い始める。そうして人はその夢を、諦めてゆく。
同じ夢を志す隣人の圧倒的な力を前にして、努力の道程を歩みもせずに夢を諦める人も多い。隣人とは恐ろしい。自分以外の存在がこの世に存在しているということはこの世の中に差異を生み出すことになる。その差異が、夢を叶えるという事柄において「諦める」という行為を誘発させる。
だが人間は夢がなくては自尊心を保てない。自尊心がないというのはいわば自己がないのと同じだ。つまり生きていくことができなくなるのだ。それではいけない、だから夢を諦めた人間でも、生きている限りまた新たな夢を立てることになる。だが諦めたわけだから同じ夢は立てない。「妥協の夢」を立てるのだ。自分の身の丈に合うであろう、あの頃抱いていた夢よりはちょっとは楽であろう、努力の道程においてそんなに躓かなくて済むであろう、そんな夢を持ち始める。
妥協の夢には力がない。生きる活力が感じられない。妥協の夢とは本来の夢を劣化させたものなのだから当然だ。生の充足感も同様に劣化されたものとなる。達成感がないから果たして達成されたのか否かすらもわからない。満たされない感情の隙間に悶々としたドロっとした不快な感情が入り込んでくる。だが本人はこの感情が何に由来するものなのかに気付かない、気付こうとしない。何故なら、その妥協の夢は自分にとって本気の夢であったのだと、盲信してしまっているからである。ただただ漠然とした虚無感に襲われ、答え知りえぬまま生きる気力を失っていく。
そんな事をウェブ漫画のワンパンマン、「ガロウ編」を見ながら思った。
幼少期にいじめられた経験からヒーローではなく最強の悪の怪人となることで弱き者達の味方となり、平和な世界を作ろうと身を粉にして努めて続けていたガロウという敵に対し、主人公サイタマはこんな事を口にする。
「世界を平和にするには、ヒーローよりも怪人になる方が手っ取り早いという理屈を逃げ場にしている」
「怪人の役割はヒーローを倒すことだけだから、自信のないお前にぴったり」
「目指す前からハードルを下げたのが間違いだったんだ。半端な目標は尚更達成できない。」
私が怠惰の哲学を生み出した経緯に、妥協を繰り返してきたことが一つ挙げられる。だからこのハゲ主人公の言葉は胸にズンと来た。
趣味にしろ夢にしろ、本気で取り組むということに対して努力の道程で躓く痛みが怖いから、アレルギー反応が出てしまっているのかもしれない。個人的に悩ましい問題の一つである敏感肌共にさっさと克服してしまいたいものだ。